トラファルガーの海戦(読み)とらふぁるがーのかいせん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トラファルガーの海戦」の意味・わかりやすい解説

トラファルガーの海戦
とらふぁるがーのかいせん

1805年10月21日、イベリア半島南西部のトラファルガーTrafalgar岬の沖で、ネルソンのイギリス艦隊がビルヌーブPierre Charles Jean, Baptiste Sylvestre de Villeneuve(1763―1806)提督指揮のフランス・スペイン連合艦隊を撃破した海戦。スペインの港カディスに停泊中のビルヌーブの艦隊がナポリに出撃することを察知したネルソンは、カディス近くのトラファルガー岬沖で待ち受けた。戦艦33隻からなるビルヌーブの艦隊はイギリス艦隊を認めると北に針路を変え、これに対してネルソンは27隻のイギリス艦隊を、自らの直率する15隻と副司令官コリングウッドCuthbert Collingwood(1748―1810)の指揮する12隻の二隊に分け、旗艦ビクトリー号に「イギリスは各員が義務を果たすことを期待する」との信号を掲げて西から接敵し、敵艦隊を分断し攻撃。その結果、沈没艦ゼロ、戦死約1600人に対し、敵艦の撃沈5、捕獲17、戦死約8000人という大勝利を得たが、ネルソン自身は艦上で戦死した。この海戦により、ナポレオンはイギリス上陸を断念した。

松村 赳]

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