日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドス・サントス」の意味・わかりやすい解説
ドス・サントス
どすさんとす
José Eduardo Dos Santos
(1942―2022)
アンゴラの政治家。1961年アンゴラ解放人民運動(MPLA)に参加。同年2月のルアンダ蜂起(ほうき)後、ザイール(現、コンゴ民主共和国)の首都キンシャサにA・ネトとともに逃れ、さらに対立する解放勢力アンゴラ国民解放戦線(FNLA)による弾圧で隣国コンゴ共和国のブラザビルに亡命。ネトと組織の立て直しを図る一方、当時のソ連に留学。1970~1973年にはカビンダ地区組織の充実を図り、1974年中央委員会委員に選出される。1975年アンゴラ独立後副首相。1978年計画相を経て、1979年大統領ネトの死後大統領に就任した。MPLA政権は独立後、マルクス・レーニン主義に基づく国家建設を推進したが、冷戦終結後の1994年、マルクス・レーニン主義を放棄し、複数政党制を導入、計画経済から自由経済に移行した。1991年のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)との和平合意後、1992年に大統領選挙、国政選挙を実施し、大統領に再選され、MPLAが多数票を獲得した。これに不満を感じたUNITAは再度内戦に突入。国連が介入して、1994年再度和平合意が成立、1997年ドス・サントスを大統領とした国民統合政府が樹立された。しかし、和平合意は守られず、UNITAとの内戦は継続したが、2002年UNITA議長サビンビの死とともに停戦が成立した。
[林 晃史]