改訂新版 世界大百科事典 「ドバーラバティ」の意味・わかりやすい解説
ドバーラバティ
Dvaravati
タイのメナム川下流域にあったモン族の王国。歴史については不明な点が多いが,7世紀ころに興り,アンコール朝のクメール族がこの地方に進出した11世紀に消滅したと思われる。
7世紀にインドを旅行した唐の玄奘は,カンボジアのイシャーナプラという王国とビルマ(現ミャンマー)のシュリークセートラと称する王国との間に,堕羅鉢底(だらはつてい)という国があると《大唐西域記》に記録した。堕羅鉢底はサンスクリットのドバーラバティの中国語による音写であった。このサンスクリット名をタイ語ではタワーラワディと発音し,この王国名タワーラワディは後のタイのアユタヤ朝の都アユタヤとラタナコーシン朝の都バンコクの公式名の中にも含まれている。さらにこの王国の存在を立証する証拠として,タイ中部のナコーンパトムで発見された2枚の銀貨の面に〈ドバーラバティの王の値〉と解読されるサンスクリット銘が刻まれていたことがあげられる。この貨幣の発見のほかに,ナコーンパトムからは多くの考古学上の資料(遺構,遺品,モン語の碑文など)が出土しているので,仮説としてナコーンパトムがこの王国の都とみなされている。しかし,都はウートーン(ナコーンパトムの北西110km)とする説もあり,現在の段階では不明といえる。ナコーンパトムから発見された仏像(おもに石灰岩製)をはじめとする美術品は,その様式に共通した特徴をもっているので,ドバーラバティ様式と呼ばれている。この様式の美術品が発見される地理的範囲を一応ドバーラバティの版図とみなしているが,これが真にこの王国の政治的な支配範囲であるかどうかは不明である。
発見された彫刻類を通じて,王国はおもに小乗仏教を信奉し,一時期,大乗仏教にも帰依していたことが知られる。特に信仰内容を伝える美術資料として,最近発掘されたナコーンパトムのプラ・パトム・チェディー仏堂の基壇側壁に残されているしっくい製浮彫が注目される。そこにはさまざまな本生譚(ジャータカ)が表されている。またプラ・パトム・チェディー大塔(高さ116m)の基底部周囲より出土したいくつもの法輪(石灰岩製)がきわめてユニークな存在である。このほか,やはり石灰岩製の大仏がナコーンパトムより発見されており,インド美術の影響を強く受けたもので,グプタ美術のサールナート派の流れを汲んでいる。すなわち仏像の衣に衣褶がなく,透薄に衣をまとう。ナコーンパトムをはじめとして当時の都市の跡は,城壁が楕円形をしているのが大きな特徴で,周囲に水濠がめぐらされてあった。王国の事情は断片的ながら《通典》や《新唐書》などの漢籍史料の中に記録されている。刑法については盗賊の重い者は死刑で,その軽い者は耳や鼻や頰をそぐ。また国は農業が主で,租税がない。国には6ヵ所に市場があって,小銀銭をもって物を売買したなどとある。
執筆者:伊東 照司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報