日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドブリッチ」の意味・わかりやすい解説
ドブリッチ
どぶりっち
Dobrich
ブルガリア北東部、ブルガリア領の南ドブルジア平原の中心都市。ドブリッチ県の県都。バルナの北約40キロメートルに位置する。1949年にソ連軍元帥トルブヒンF. I. Tolbuhin(1894―1949)の死にちなんでトルブヒンと改名されたが、社会主義体制崩壊が進む1990年に旧市名のドブリッチを復活させた。人口10万(2001)。15世紀にハジオウル・パザルジークの名前で集落が形成され、南ロシアとバルカンを結ぶ交易路の都市として栄えた。17世紀にはオスマン・トルコ軍のウクライナやポーランドへの遠征の拠点となり、18世紀以降はロシアに対する防衛の拠点となった。18世紀以来しばしばロシアに占領され、そのたびごとに住民交換が行われて住民はベッサラビアなどに移住し、その後に山間部からブルガリア人が入植した。1878年の独立でブルガリア領に入るが、1913年から40年まではルーマニア領となり、バザルジクBazargicとよばれた。一帯は豊かな穀倉地帯で、食品産業、農業機械などの産業が発達している。市内には歴史博物館と劇場がある。
[寺島憲治]