ヨーロッパ南東部、ルーマニアからブルガリアにかけての黒海沿岸地域。ドナウ川下流部南側の地域で、東を黒海によりくぎられる。ルーマニア語名ドブロジアDobrogea、英語名ドブルジャDobrudja。Dobrudzhaはブルガリア語。ルーマニア領の北ドブルジアとブルガリア領の南ドブルジアに分けられる。北ドブルジア北西部に低い山地があり、南ドブルジアは丘陵地帯が広がる。気候は10年のうち6年が干魃(かんばつ)といわれるほど乾燥の激しい、雨の少ない地域で、貧しい農業地帯であった。第二次世界大戦後、灌漑(かんがい)施設の建設により農業が発展し、南ドブルジアはブルガリアの穀倉といわれるほどに変貌(へんぼう)した。ドブルジア全域の主要作物は小麦、トウモロコシ、ヒマワリ、テンサイ、タバコ、ブドウなどで、畜産も盛んである。ルーマニアのコンスタンツァ周辺、ブルガリアのアルベナ、ルサカは、黒海沿岸の保養地として発展している。ルーマニア領の中心都市はコンスタンツァ、ブルガリア領ではドブリッチ(旧トルブヒン)で、食品工業などが立地している。
[中村泰三]
紀元前にはトラキア人の居住地で、ローマ帝国やビザンティン帝国の領域となり、7世紀末にブルガリア人に支配されたが、ペチェネグ人やタタール人の侵入が続き、15世紀からはトルコの支配下に置かれた。1878年のベルリン条約で、ルーマニアは南ベッサラビアをロシアに譲った代償として北ドブルジアを得た。1913年の第二次バルカン戦争に参戦したルーマニアは、ブルガリアから南ドブルジアを奪った。ルーマニア人は北ドブルジアでは住民の65%を占めたが、南ドブルジアでは19%で、38%がブルガリア人であった。1940年にブルガリアは南ドブルジアを奪還し、第二次世界大戦後も同地を確保した。
[木戸 蓊]
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