アラブ民族主義(読み)アラブみんぞくしゅぎ

改訂新版 世界大百科事典 「アラブ民族主義」の意味・わかりやすい解説

アラブ民族主義 (アラブみんぞくしゅぎ)

アラブの一体性の自覚としてのアラブ民族意識に基づいてアラブの統一を求める思想,運動。一般に,アラブであること(ウルーバ)の中で,アラブの連帯性を支える最も重要な基盤は,アラビア語とその文化伝統であるとされることが多い。その意味で,アラブはカウムqawm(民族,国民)であるとされ,その政治的統合が待望されることになる。アラブ民族主義は,まず19世紀半ば,東方問題を批判し克服する思想的立場として形成された。ヨーロッパ諸国はアラブ地域への東方問題的アプローチにおいて,もっぱら現地社会における宗派的反目・抗争の扇動にあたった。それは十字軍の伝統を継ぐものであった。またアラブ民族主義によって東方問題の操作が困難になると,それへの対抗策として,19世紀末シオニズムの利用が始まり,パレスティナ問題が設定されることになる。それゆえ,19世紀のアラブ民族意識は,まず宗教的分裂・相克を乗り越えようとする立場のものとして表明された。レバノンシリアにおいて,キリスト教徒知識人(ナーシーフ・アルヤージジーブトルス・アルブスターニーら)の役割が大きかったのは,そのためである。アルジェリアアブド・アルカーディルダマスクスに亡命し,シリアのカワーキビーエジプトイエメン,ザンジバルを遍歴する中で,アラブ民族主義の思想は一段と豊かなものにされていったが,カワーキビーの仕事にも見られるように,それはやがてコーランの言葉によって生活しているアラブにとって,その文化伝統としてのイスラムの強調にもつながっていった。近代のアラブ意識の端緒を示していたワッハーブ派に始まるサラフィーヤの流れも,その意味でアラブ民族主義の発展を刺激した。政治運動としては,この民族主義は19世紀末以来のオスマン帝国下のシリアやメソポタミアの多様な秘密結社(カフターン会,盟約,青年アラブ等)を生み,それらは結集して第1次世界大戦下,シャリーフフサインを頂くアラブ反乱へと発展した。第1次大戦後,英仏の影響下でアラブ諸国家群が形成されると,アラブ民族主義はアラブ諸国家の統合問題または協力問題として示されるようになる。1930年代末にはパレスティナ問題を議題にしばしばアラブ諸国会議が開かれたが,同問題は国王たちの主導権争いの道具にされた。第2次世界大戦中,イラクハーシム家を中心とする肥沃な三日月地帯案や,トランス・ヨルダンのハーシム家を中心とする大シリア案など国家的統合の諸計画が策定されたが,結局,45年エジプトのファールーク王の主導権下でカイロにアラブ連盟(初めは,エジプト,イラク,サウジアラビア,イエメン,トランス・ヨルダン,シリア,レバノンの7ヵ国が結成した地域機構)がつくられた。第2次大戦後,大衆的組織と運動とを目ざすバース党やアラブ民族運動Ḥaraka al-Qawmiyīn al-`Arabが生まれた。後者はやがて60年代に左翼化して,パレスティナ人の間では人民戦線PFLP)に,南イエメンでは民族戦線(NLF)になっていく。この間エジプトでは,1952年革命で王制が倒され,ナーセルの指導下でアラブ民族主義の高揚期を迎えた。スエズ運河国有化を契機に起こった56年の第2次中東戦争(イギリス,フランス,イスラエル3国のエジプト侵攻)におけるエジプトの政治的勝利は,58年のエジプト・シリア両国の統合によるアラブ連合共和国の成立や,同年のイラク革命,62年のイエメン革命などへと導いた。アラブにはアラブ独自の社会主義があるべきだとするアラブ社会主義の潮流も,1950-60年代のバース主義やエジプトにおける国有化,公共セクターの拡大などを生んだ。しかしアラブ連合共和国は61年に解体したし,その後の多くの国家的統合計画のいずれもが流産した。67年の第3次中東戦争後のハルトゥームでのアラブ首脳会議では,エジプトとサウジアラビアとの間のイエメン戦争が解決され,73年の第4次中東戦争では,アラブのナフダ(復興)が強調されたが,60-70年代を通じてアラブ諸国の足並みは乱れ,その分裂はいっそう深まっていった。
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百科事典マイペディア 「アラブ民族主義」の意味・わかりやすい解説

アラブ民族主義【アラブみんぞくしゅぎ】

アラブの民族的自覚を背景として,国家の枠を超えてアラブの一体性を実現しようとする運動。特に1948年のイスラエル建国に危機を感じて活発化し,同年の第1次中東戦争敗北によりナーセル主義,バース主義(バース党)の運動を生んだ。アラブ国家統一の最初の試みとして1958年には,エジプト・シリアの合邦によるアラブ連合共和国を生んだ。その後第3次中東戦争の敗戦を機に,統一国家を希求するより既存の国家を前提として連携を強化する〈アラブの大義〉が主流となる。しかし,冷戦の終焉と湾岸戦争を経て,アラブ諸国では国益中心の政策を打ち出す傾向が強まっている。
→関連項目アラブ連合共和国イスラム復興運動ウンマエジプトベイルート

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