日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナッタ」の意味・わかりやすい解説
ナッタ(Giulio Natta)
なった
Giulio Natta
(1903―1979)
イタリアの化学者。高分子の立体規則性概念を確立し、合成高分子工業の発展に大きな貢献をした。1963年ツィーグラーとともに「高分子物質の化学と技術における発見」によりノーベル化学賞を受賞した。西イタリア海岸のインペリアに生まれ、1924年ミラノ工科大学を卒業後、1933年パビア大学教授となり、1935年ローマ大学、1937年トリノ工科大学を経て、1938年より母校のミラノ工科大学の工業化学教授となる。X線による結晶構造の研究法を触媒や高分子化合物に応用した。
1938年重合反応の速度論的研究を行い、1953年モンテカチーニ社(後のモンテジソン社、現在のエジソン社)の援助で、ツィーグラー型触媒を用いてプロピレン、ブテンなどのオレフィンの重合によるポリマー(重合体)を合成し、その結晶構造をX線回折で研究した結果、立体的に規則正しい配列をもった新しいポリマーを発見した。すなわち、触媒を選択することにより、触媒面で成長するポリマー鎖に順次モノマー単位が付加して、それぞれ性質の異なる各種の立体特異性を有するポリマーが調製される、ということの発見である。ナッタは夫人の提言に従って、アイソタクティック、シンディオタクティック、アタクティックなどの術語を導入してポリマーの立体配列を分類した。1957年にはアイソタクティックのポリプロピレン樹脂を工業化した。また、エチレンとプロピレンの共重合による合成ゴムの製法を発明した。ナッタの成功は、ツィーグラー触媒を改良して、トリアルキルアルミニウムと三塩化チタンからなる触媒(これをナッタ触媒という)を利用したからにほかならない。
[矢木哲雄]
ナッタ(Alessandro Natta)
なった
Alessandro Natta
(1918―2001)
イタリアの政治家。北イタリアのインペリアに生まれ、ピサの高等師範で文学を専攻。在学中に反ファシズム地下運動に参加し、終戦時に共産党に入党。1948年に下院議員に当選し、1956年には中央委員に選ばれる。以後、党の宣伝・教育部門で要職を歴任し、1966年以来、指導部員として、またベルリングエル書記長を補佐する書記として活躍、1983年の中央統制委員長を経て、翌1984年6月同書記長の死後その路線の継承者として1985年1月書記長に就任した。新書記長のもとで党は1986年に社会民主主義化を強める一方、両性間の平等といった新しい要求にも取り組んだが、政権獲得の明確な展望を欠いていたため国民の支持をしだいに失い、1987年の総選挙に続いて1988年の地方選挙ではとくに惨敗を喫した。1988年6月に病気を理由に書記長を辞任し、翌月オッケット副書記長が後任に選ばれた。ナッタは共産党低迷の象徴的存在とみられがちだが、オッケットやダレーマなどの次代の指導者を育成した功績は大きい。その後1991年の左翼民主党結成時には旧ベルリングエル派の指導者として活躍した。
[重岡保郎]