日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニールス・リーネ」の意味・わかりやすい解説
ニールス・リーネ
にーるすりーね
Niels Lyhne
デンマークの作家ヤコブセンの長編代表作。1880年発表。作者の自伝的作品で、事業家の父と美と詩にあこがれる夢想家の母との間に生まれた主人公ニールスの魂の分裂と彷徨(ほうこう)をたどる。彼は12歳のとき、美貌(びぼう)の従姉(いとこ)にあこがれ、病床に伏す彼女の枕頭(ちんとう)で必死に神に祈る。しかし祈りは空(むな)しく彼女は死ぬ。裏切られた少年ニールスは神への反抗を心に誓う。やがて首都に出て詩人を志すが、彼の心奥には重要な欠落があるらしく、作品は一編も完成に至らない。年上のボイエ夫人との濃艶(のうえん)な恋も、幼友達エリクの妻フェニモアとの甘美な三角関係も、最後は女の変心によって破綻(はたん)する。信仰を失った彼の生命を支え燃焼させるのは、女性の愛を通じ人間性の開花を図るヒューマニズムのはずであったが、結局は蹉跌(さてつ)し故郷に帰る。そこで近隣の名家の若い令嬢の愛を得て、彼女の魂を己の無神論的ヒューマニズムのままに形成し、遅ればせながら楽しい結婚生活を味わう。しかしその幸福もつかのま、妻と子を相次いで病魔に奪われる。妻は死の床で信仰を取り戻し、神のもとに召される。彼の内部で張り詰めていたものが崩壊する。やがて祖国の危急に応じ志願して従軍、戦場で胸部を撃たれ臨終を迎えるが、牧師を拒み孤独のうちに死んでゆく。
作者は療養生活のなかでこの作品を書き継いだが、一時完結は絶望とみられた。しかし、結局は故郷の母のもとに帰り奇跡的に完成した。この作品は「無神論者の聖書」とよばれる。無神論者ニールス・リーネを悲惨の極みまで追い詰める作者の冷徹な目が注目される。詩人リルケは「深奥にして壮麗の書」と評し、ヤコブセンを唯一の師とよんでいる。
[山室 静]
『山室静訳『死と愛〈ニイルス・リイネ〉』(角川文庫)』