ネーアー
ねーあー
Erwin Neher
(1944― )
ドイツの生理学者。ランツベルグ生まれ。ミュンヘン工科大学卒業。アメリカに渡りウィスコンシン大学に進学し、1967年に修士課程修了。1968年よりマックス・プランク研究所で博士号取得のための研究を行う。1970年ミュンヘン工科大学で博士号を取得。その後もマックス・プランク研究所で研究を続ける。1974年同研究所の研究員であったB・ザクマンとイオンチャンネルの機能に関する共同研究を始める。ウィスコンシン大学、エール大学を経てマックス・プランク研究所に戻り、1983年より同研究所膜生物物理部門の部長となる。
直径が1マイクロメートルの細いガラス管を使って、イオンチャンネル1分子にイオンが出入りするときに生ずる、微小な電流を測定する「パッチクランプ法」とよばれる技術を確立。さらに、その技術を用いてチャンネルの構造や機能を明らかにした。これらの功績により、ザクマンとともに1991年のノーベル医学生理学賞を受賞した。
[馬場錬成]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ネーアー
Neher,Erwin
[生]1944.3.20. ドイツ,ランズべルク
ドイツの細胞生物学者。ミュンヘン工科大学を卒業後,渡米しウィスコンシン大学研究助手。 1970年ミュンヘン工科大学で博士号を取得。 72年マックス・プランク生物物理化学研究所に入り,74年同僚の B.ザクマンと細胞膜のイオンチャンネルに関する研究を開始。ガラス電極を使って細胞膜のイオンチャンネルを通過するイオンの電流を測定する「パッチ・クランプ」法を開発,イオンチャンネルのもつイオン選択性や,その選択性にはチャンネルの内径とチャンネルをつくる蛋白質のアミノ酸の構成が大きく関係することを明らかにした。さらにイオンチャンネルが記憶の解明に手掛りを与えること,糖尿病やてんかんなどの発病にも関係することも明らかにした。 83年同研究所膜生物物理学部長に就任。 91年ザクマンと共同でノーベル生理学・医学賞を受賞。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ネーアー
Caspar Neher
生没年:1897-1962
ドイツの舞台美術家。アウクスブルクの出身で,同郷人のブレヒトとは高校時代からの知友。ミュンヘンで美術を学び,ブレヒトの協力者として《三文オペラ》(1928),《プンティラ》(1949)など数多くのブレヒト劇の舞台装置を担当した。イリュージョン主義を避け,一種の風刺画的・漫画的表現を通じて舞台に素朴な演劇性を復活させる彼を,ブレヒトは〈現代最高の装置家〉と呼んでいる。ルネサンスやバロック期の美術史研究家としても著名。
執筆者:越部 暹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のネーアーの言及
【舞台美術】より
…[ベルリーナー・アンサンブル]での彼の仕事は世界的な評価を得たが,その一端は同劇団の舞台美術家の才能によるものであった。ネーアーCaspar Neher(1897‐1962),オットーTeo Otto(1904‐68),フォン・アッペンKarl von Appen(1900‐ )らである。叙事演劇の舞台ではスライドによって説明的なタイトルや解説を,舞台下半分をおおう引幕に投影したりした。…
【舞台美術】より
…[ベルリーナー・アンサンブル]での彼の仕事は世界的な評価を得たが,その一端は同劇団の舞台美術家の才能によるものであった。ネーアーCaspar Neher(1897‐1962),オットーTeo Otto(1904‐68),フォン・アッペンKarl von Appen(1900‐ )らである。叙事演劇の舞台ではスライドによって説明的なタイトルや解説を,舞台下半分をおおう引幕に投影したりした。…
※「ネーアー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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