改訂新版 世界大百科事典 「ハティエン」の意味・わかりやすい解説
ハティエン (河僊
)
Ha Tien
ベトナム南部,キエンザン省に属する,シャム湾に面したカンボジア国境に近い港町,また地域名。ビンテ運河を通じてメコン本流と結ばれ,かつてはシャム湾とカンボジアを結ぶ枢要な港市であった。古くはカンボジア王国領バンテアイメアスBanteay Meas(ポルトガル人はポンティアマスPonthiamasと呼んだ)として知られていたが,17世紀末,中国の広東・雷州の人鄚玖(まくきゆう)がカンボジア王よりハティエン地方の総督に任命されて以来,中国人がこの地に集居し,沖合のフークオク島から南のカマウ半島にかけての地に,鄚氏を首長とする半独立の港市国家が成立した。中国史料はこれを港口国,または本底国と記している。このころカンボジア王家は弱体化し,一方,フエに都するベトナム人のクアンナム(広南)朝の南下政策が進んだ。1708年鄚氏はクアンナム朝に帰付し,ハティエンは以後ベトナムの属国となった。しかし鄚玖の子の鄚天賜(まくてんし)の支配下に繁栄し,明代中国文化が移植された。鄚天賜の撰になる詩集《河僊十詠》は有名である。また42年にはカンボジア王と称して徳川将軍家に遣使している。しかし67年アユタヤの2王子がハティエンに亡命したことから,トンブリー朝のタークシン王との間に争いが生じ,71年トンブリー軍はハティエンを攻略した。天賜は73年ハティエンを回復したが,77年にはタイソン党のグエン・バン・フエに追われてバンコクに亡命し,80年この地で反逆の罪で捕らえられて自殺した。一族の多くが処刑され,ハティエン王国は終焉した。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報