スウェーデンの政治家。首相を務めたヤルマル・ハマーショルドの四男。ウプサラ大学で経済学を専攻し、1933年ストックホルム大学の政治経済学助教授。1936年財務次官、国立銀行総裁。1946年外務省に入り世界経済・金融問題を担当、1949年外務次官、1951年外交担当無任所相。1953年米ソ両陣営の支持を得て、T・リーの後を継ぎ国際連合の2代目事務総長に就任。1956~1957年スエズ戦争解決のためしばしば中東に赴く。1960年コンゴ(のちザイールとなり、現在はコンゴ民主共和国)で紛争が発生すると、ただちに国連軍を派遣、1961年自身も現地を訪れ解決のために奔走中、9月17日北ローデシア(現、ザンビア)で不審な航空機事故のため死亡した。翌月1961年ノーベル平和賞を追贈される。
[本間晴樹 2018年9月19日]
『ハマーショルド著、鵜飼信威訳『道しるべ』新装版(1999・みすず書房)』
スウェーデンの法学者、政治家。1891年ウプサラ大学法学部教授。1901~1902年法相、1905年8~11月文相。国際法の権威としてしばしば国際会議に出席、1909年独仏間、1913年仏伊間の紛争を調停。1914年首相。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後は中立維持に努力、しかし経済政策に失敗し1917年辞任。1924~1938年国際法学会会長。1929~1947年ノーベル財団理事長。
[本間晴樹]
スウェーデンの政治家,経済学者で2代目の国際連合事務総長。ウプサラ大学を卒業。1933年ストックホルム大学経済学教授となる。その後,国際問題に明るいのを評価されて49年外務次官となる。53年4月10日米ソ両陣営の支持を得て,T.H.リー初代国連事務総長の後任として選ばれ,57年に再選。1956年のスエズ動乱のさい国連緊急軍の編成,派遣にあたり政治的手腕を発揮した。60年のコンゴ戦争にさいして,国連の平和維持活動を指揮し現地に赴いたが,北ローデシアで飛行機事故のため殉職。死後,61年度ノーベル平和賞が授与された。
執筆者:香西 茂
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1905~61
スウェーデンの政治家,法学者,経済学者。国立銀行,外務省をへて,国連事務総長(在任1953~61)。スエズ戦争(56年),イラクにおけるクーデタ(58年)に伴う中近東危機などの解決に努力,60年にコンゴ動乱が起こると国連軍派兵を含む積極的な調停活動に乗り出し現地に向かった際,飛行機事故死した。
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