イギリスの生化学者。マンチェスターに生まれ、生地のオーエンズ大学を卒業。その後ドイツのエルランゲン大学で学位を取得し、帰国してマンチェスターに戻った。1897年にロンドンのジェンナー予防医学研究所に入ったころから細菌や酵母の発酵現象に関心をもつようになった。ヤングWilliam John Young(1878―1942)とともに、解糖の中間反応に糖の加リン酸過程が存在することを、果糖二リン酸(ハーデン‐ヤングエステルともよぶ)を使って実験した。この研究は、発酵の初期段階にリン酸が関与することを解明する端緒となり、当時承認されていた発酵のノイベルク説を訂正し、その後のマイヤーホーフたちによる解糖経路の解明に寄与することになった。また発酵には透析可能な低分子の補酵素(コチマーゼ、現在のNAD)が関与することについても研究し、1929年にオイラー・ケルピンとともにノーベル化学賞を受けた。1926年ナイトに叙せられ、1909年からフェローだった王立協会からは1935年にデービー・メダルを授与された。バッキンガムシャー、ボーンエンドで死去した。
[宇佐美正一郎]
イギリスの生化学者.マンチェスター大学オーエンズ・カレッジでH.E. Roscoe(ロスコー)に学び,卒業後はドイツのエルランゲン大学でPh.D.を取得.帰国後,マンチェスター大学講師となり,1897年に新設のイギリス予防医学研究所(1898年ジェンナー研究所,1903年リスター研究所と改称)に移り,糖のアルコール発酵を研究した.1904年W.J. Youngとともに酵母抽出液を透析して,タンパク質部分と非タンパク質部分に分離し,どちらの部分も単独では不活性だが,一つにすると活性をもつことを発見した.酵素の活性発現には,透析した物質が含む低分子量の補酵素(酵素の非タンパク質部分)が必要であることを示した.また,発酵過程にリン酸化された中間物質D-フルクトース-1,6-二リン酸(ハーデン-ヤングエステル)が存在することを示した.そのほかビタミンの分野にも貢献し,1929年H.K.A.S.von Euler-Chelpin(オイラー-ケルピン)とともにノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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