改訂新版 世界大百科事典 「バイキング美術」の意味・わかりやすい解説
バイキング美術 (バイキングびじゅつ)
8世紀末から11世紀前半にかけてスカンジナビアを基地として海洋および河川を利用して東西および南方に広く進出した北方ゲルマン人,バイキングの残した美術。古くは5世紀ごろにまでさかのぼる。北フランスおよび地中海方面に定着したバイキングの一派,いわゆるノルマン人の美術はやがてロマネスク美術に吸収されてその一流派を形成することとなる。しかしそれ以外のものは,スカンジナビア美術史の一時期を占めるものと考えてよい。
バイキング美術は,先史時代以来の北方の土着美術(岩面画)の伝統を受け継ぎ,ローマおよびオリエントの影響と,ライン・ドナウ川流域のケルト美術との接触を踏まえて,5~7世紀に至り,ゲルマン人諸族の美術との共通色の濃い,いわゆる〈動物様式〉を成熟させる(黄金円形ペンダント,金属製服飾品および武具など)。初期に見られた多少ともローマ風の自然主義は急速に消えて,文様的(とくに組紐文的)リズムの中に人体や鳥獣の形が吸収され,同様の傾向をもつヨーロッパ各地の民族大移動期の美術の中でもとくに顕著にこの特色を発揮している。このような特色がいわゆる〈バイキング時代〉に入ってさらに大きく発展したことは,オーセベルOseberg(ノルウェー)などの船葬墳からの出土品(木造の舟,橇(そり)など)によってよく知られる。それらを飾る浮彫では,紐状に引き伸ばされ複雑に絡みあった動物文が他の文様とも結合してそれと判別できぬほど網状に文様化されている。なおこの時代にバイキングが植民地化しあるいは強い影響力をもったグレート・ブリテン島北部やマン島に,同系統の浮彫装飾をもった石造十字架が見られるし,同時代のアイルランド系あるいはノーサンブリア系の写本画の装飾文もこれと多かれ少なかれ関係がある。他方,デンマーク,ユトランド半島東部のイェリングの墓地に残るルーン石には,組紐文化した怪獣のほかキリスト磔刑像が表されているが,キリストを囲む組紐文がその体をがんじがらめに縛っている印象を与える。また,スウェーデンのゴトランド島にはきわめて特色のある一連の石碑が見られる。それらは二つの群に分かれる。第1は上端部がやや広がった石板で,これに大きい螺旋文が表されその下に小円環文,怪獣,人物,舟などが添えられる。第2は上部がまだ傘(かさ)を開かぬキノコの形をしており,その面が数層に区切られて説話場面が表現される。第1のものは5世紀にまでさかのぼり,古代ローマの石碑との関係が指摘されている。この第1群が象徴的文様を並べているのに対し,第2群は説話表現という点で北欧では画期的であり,おそらくカロリング美術の影響によるものであろう。いずれにしてもこの両者ともスカンジナビア美術の中では異色のものである。それに対し,バイキング時代が終わってキリスト教の時代に入ってから建立された木造教会堂(主としてノルウェー)は,教会堂入口の浮彫装飾にオーセベルの浮彫の伝統をなお伝えている。
執筆者:柳 宗玄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報