改訂新版 世界大百科事典 「写本画」の意味・わかりやすい解説
写本画 (しゃほんが)
写本のページに施された装飾をいう。イルミネーションillumination,ミニアチュールminiatureともいう。これには写本の本文(テキスト)の内容に即した挿絵(イラストレーション),画面の周囲などに配する抽象的文様,文章の冒頭に用いる凝った飾り頭文字(イニシャルinitial)などがある。写本画は,文字を含む比較的小さい画面をごく近接して鑑賞するところから,画面構成や色彩効果などに,大画面の絵画とは異なる特質をもつ。中世には聖書写本に大量の需要があったため,写本画は著しい発展をとげ,教会堂装飾などと並ぶ,中世美術の重要な一分野をなした。なお,イスラム世界の写本画については〈イスラム美術〉の項目中[絵画]を参照されたい。
古代
エジプトでは古くからパピルスの巻物に挿絵がほどこされたが,現在は〈死者の書〉などわずかが残るのみである。古代ギリシアでは文学作品や自然科学の書物に挿絵が描かれた。ヘレニズム時代からはアレクサンドリアが写本の制作と収集の一大中心地となり,ローマ帝国に写本芸術の伝統を伝えた。挿絵入りのギリシア語訳旧約聖書(セプトゥアギンタSeptuaginta)もすでに紀元前に成立していたと考えられる。現存例の少ない古代の写本をしのばせる古代末期の作品として,バチカン図書館蔵《ウェルギリウス》(5世紀),ディオスコリデス著《薬物誌》(6世紀),《コットン創世記》(6世紀)などがあげられる。4世紀までに,写本の素材はパピルスから羊皮紙にかわり,また形式は巻物(巻子本)から現在の本のようなコデックス(冊子本)に移った。この変化にともない,写本画にも新しい展開が生じた。すなわち,丈夫でなめらかな羊皮紙の上に顔料が厚く緻密に塗られ,金を含め多くの色彩が現れた。また,文字の間の小さな挿絵だけでなく,全ページ大の大きな写本画が多く描かれるようになる。
ビザンティン帝国
中世では聖書写本が教会の典礼などに用いられ,それ自体神聖視されたため,写本はいっそう豪華で大型になった。ビザンティン帝国の全時代を通じて,宮廷などの工房や修道院の写字室(スクリプトリウムscriptorium)で莫大な数の写本が制作された。ビザンティン初期の《ウィーン創世記》(6世紀)や《ロッサーノ福音書》(6世紀)は紫羊皮紙の重厚な作品である。帝都コンスタンティノポリスだけでなくシリア,エジプト(コプト),アルメニアなどでも,それぞれ特色ある写本画が描かれた(《ラブラ福音書》6世紀,など)。聖典のなかでは,旧約聖書の〈モーセ五書〉や〈モーセ八書〉,《詩篇》,福音書,典礼用福音書抄本,《ヨハネの黙示録》,定式書などが写本の題材として好まれ,その中に,物語の場面,著者や福音書記者の肖像,カノン・テーブル(聖書語句対観表)などが描かれた。一冊の写本には数十点から数百点近くの写本画が描かれることもあった。物語の挿絵では時間の推移を表すため場面の選択や連続,構成にさまざまな工夫が凝らされた(パリ,ビブリオテーク・ナシヨナル,ギリシア語第74番写本,11世紀)。一方,独立画形式の写本画も発達した(《パリの詩篇》,9~10世紀)。ビザンティン中期・末期の特色ある作品には,格調高い様式と多彩な場面で知られる《ナジアンゾスのグレゴリオスの説教集》(9世紀),巻物の形式をとる珍しい《ヨシュア画巻》(10世紀),華麗な色彩効果を見せる《コキノバフォスのヤコブの説教集》(12世紀),ビザンティン末期の高度な洗練を示すアトスのイビロン修道院第5番写本(13世紀)や《カンタクゼノス帝神学著作集》(14世紀)などがある。
中世ヨーロッパ
アイルランドや北イングランドではキリスト教の伝播とともに修道院を中心に独自の写本画が現れた。幾何学文様や人物・動物像を複雑にからませて画面を作る《リンディスファーンの書》(7世紀)や《ケルズの書》(8世紀)は有名である。カロリング朝がおこると,古典美術復興を企図した宮廷の庇護のもとに聖書写本が次々と生み出され,西ヨーロッパにおける写本芸術が本格的に始まった。堂々たる古代風の人物像を描く《戴冠式の福音書》(8世紀末),大型の画面にフリーズ状に場面を配した《グランバルの聖書》(9世紀),ペン素描の《ユトレヒト詩篇》(9世紀)などが知られる(カロリング朝美術)。
オットー朝(オットー美術)からロマネスクにかけて写本の制作は西ヨーロッパ全域に拡大し,各地で特色ある写本画が描かれた。なかでも11世紀にスペインで作られたベアトゥス本《黙示録》写本の挿絵は,その抽象的形象や大胆な色使いの点で異彩を放っている。13世紀になると,フランス北部やイングランドを中心に,明るくはなやかなゴシック様式の写本画が現れた。《サン・ルイの詩篇》(13世紀)の色彩や輪郭線はステンド・グラスを思わせる。14~15世紀,国際ゴシック様式の時代には,極度に優美で典雅な写本画が王侯貴族に愛好された。ランブール兄弟作《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》はこの時代の代表作として知られる(時禱書)。
ルネサンス以降
ルネサンス期には聖書のほか,ダンテやアリストテレスらの著作,楽譜などの写本も好んで制作され,ゴシック末期の伝統をうけついだ豪華で細緻な装飾がほどこされた。しかし,線遠近法の隆盛によって,本質的に平面的表現をもち,近距離で眺められる写本画の独自性は失われていった。やがて15世紀中ごろに印刷技術が発明されると書物は豪華さより経済性を要求されるようになり,挿絵は木版・銅版画にとって代わられて高価な写本画はほとんど姿を消した。
→イラストレーション
執筆者:浅野 和生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報