バッド・ペインティング(読み)ばっどぺいんてぃんぐ(その他表記)bad painting

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バッド・ペインティング」の意味・わかりやすい解説

バッド・ペインティング
ばっどぺいんてぃんぐ
bad painting

「俗悪なもの」「キッチュなもの」など、いわゆる「悪趣味」を基調とした絵画総称。とくに定まった表現上の様式をもつわけではなく、内実はオーソドックスな技法や基準によって描かれたスタンダードな絵画との対比によって考察される。古くからあった考え方だが、言及されるようになったのは1978年、ニューヨークのニュー・ミュージアムで開催されたグループ展に参加したジェームズ・アルバートソンJames Albertson(1943― )、ジョーン・ブラウンJoan Brown(1938―1990)、ロバート・コールスコットRobert Colescott(1925―2009)、ニール・ジェニーNeil Jenney(1945― )らによる作品の、一見粗雑で荒々しいが具象性へと回帰する傾向のみられる筆致を総括する用語として、展覧会企画者のマーシャ・タッカーMarcia Tucker(1940―2006)が用いたのがきっかけとされる。

 ここでいう「悪趣味」について重要なのが美術評論家クレメント・グリーンバーグが提起した「前衛後衛」の問題である。グリーンバーグは、美術のフロンティアにたつ芸術を「前衛」とよぶ一方大衆文化一般を俗悪で質の低い低級文化として退けた。その後グリーンバーグらによって推進されたフォーマリズム形式主義)の作品が美術界の主流を占めて制度化・権威化されるにつれて、「後衛」として退けられた大衆文化の「俗悪」「悪趣味」な要素を美術作品の評価基準として逆に利用しようとする発想が徐々に表面化してきた。「価値をおとしめる」「安っぽくする」といった意味のドイツ語「フェアキッチェンverkitschen」の語源である「キッチュ」Kitschに関心が寄せられるようになったのも同じ発想である。それと関連した理論的成果としては、アブラハム・モルAbraham Moles(1920―1992)の『キッチュの心理学Psychologie du Kitsch(1971)やスーザン・ソンタグの『反解釈Against Interpretation(1968)などを挙げることができる。この「悪趣味」という基準の台頭は、美術界の閉塞状況に加えて、高度工業社会が発達した結果、高品質で精巧なデザインのものが数多く流通するようになり、前近代的な審美主義が成り立たなくなったことも大きく起因している。

 さらに現代美術を再考してみれば、抽象表現主義からミニマリズム、コンセプチュアル・アートへと至るメインストリームは、いずれも抑制された表現や禁欲的な様式を基調としているため、それに対して俗悪で猥雑な要素を強調した「バッド・ペインティング」を対置したことには逆説的な戦略性が認められる。また1960年代後半のアメリカでは、五大湖周辺で活動したシカゴ・イマジズムやサンフランシスコ一帯で活動したベイエリア・フィギュラティブ・スタイルなど、それぞれの地域で同じ傾向をもった美術運動が台頭していたことから、1970年代のアメリカ美術界に広く流布し、1980年代のネオ・エクスプレッショニズムの先駆的役割を果たした現象としてもみることができる。

[暮沢剛巳]

『アブラハム・モル著、万沢正美訳『キッチュの心理学』(1986・法政大学出版局)』『ロバート・アトキンス著、杉山悦子ほか訳『現代美術のキーワード』(1993・美術出版社)』『スーザン・ソンタグ著、高橋康也ほか訳『反解釈』(ちくま学芸文庫)』

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