ハンガリー出身、ソ連で活動した経済学者。国際共産主義運動の活動家でもあった。ブダペスト近くの村の教師の家庭に生まれ、ブダペスト大学に学ぶ。1909年同大学で哲学博士号を取得、1918年同大学教授。1919年のハンガリー革命ではハンガリー・ソビエト政権の財務人民委員、国民経済会議議長を務めたが、同年8月革命に失敗してオーストリアに亡命、1920年モスクワに移りソ連共産党に入党、共産主義インターナショナルの積極的な活動家としてコミンテルンなどで働いた。1927年から学術活動に転じ、その後20年間にわたりソ連科学アカデミー付属の世界経済世界政治研究所を主宰し、その機関誌に発表した四半期ごとの「世界経済概観」は、1920年代後半のまだアメリカ経済が永続する繁栄を謳歌(おうか)している最中に世界恐慌の接近を正確に予測し、1934年には恐慌の終結と不況局面への移行をいち早く指摘して国際的にも注目された。これは、日本でも『世界経済年報』(第1~第31輯(しゅう))として邦訳紹介され、マルクス経済学の現状分析のモデルになった。バルガ監修の『世界経済恐慌史 1848~1935年』(1937)とともに恐慌史研究の有益な資料である。第二次世界大戦後には『戦争の結果としての資本主義経済の変化』(1946)を説いてスターリン主義者から激しい批判を受けたが、この問題の著作にしても、スターリン死後、1950年代末に日本をも含めて国際的に展開された現代資本主義論争に連なる最初の大胆な問題提起であった。なお、死後西側で発表された「バルガの政治的遺言」(New left review, July‐August, 1970/邦訳『現代の理論』86号所収)はノーメンクラツーラ階級支配下の旧ソ連社会のゆがみを痛烈に告発している。バルガの主要論文は『現代資本主義と経済恐慌』(1963)と『資本主義経済学の諸問題』(1965)に収録されている。
[名和献三]
『経済批判会訳『世界経済年報』全31冊(1927~1935・叢文閣)』▽『永住道雄訳『世界経済恐慌史』(1947・岩崎書店)』▽『村田陽一・堀江正規訳『資本主義経済学の諸問題』(1966・岩波書店)』▽『及川朝雄訳『現代資本主義と経済恐慌』全2巻(1968、1969・岩崎学術出版社)』
ソ連の経済学者。ハンガリーに生まれ,ブダペスト大学卒業。1919年ハンガリー革命に参加したが革命失敗後オーストリアに亡命。20年コミンテルン第2回大会出席のためモスクワに移りソ連共産党に入党,以後コミンテルンに勤務。27年から学術活動に転じ,ソ連科学アカデミー付属の世界経済・世界政治研究所を初代所長として主宰する。39年アカデミー正会員に選ばれ,53年まで幹部会員を務める。バルガの理論活動は,第2次大戦前では,とりわけ世界恐慌の分析とそれに基づく予測とで有名であり,前記研究所の機関誌に発表され,また日本でも《ヴァルガ世界経済年報》(1927-35)として広く読まれた。その体系的成果は《世界経済恐慌史 1848・1935年》(1937)にまとめられている。第2次大戦後すぐに,戦時・戦後の資本主義経済における国家の決定的役割を強調し,国家独占資本主義をめぐる本格的論争の出発点を置いた。バルガ自身は改良主義と批判されて自己批判するところとなったが,スターリン批判後には《帝国主義の政治と経済の基本的諸問題--第2次大戦後》(1957)を著し,部分的に旧命題を復活させるとともに,第2次大戦後の帝国主義の分析を深めた。1963年レーニン賞を受賞した。
執筆者:二瓶 剛男
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