バルトゥー(読み)ばるとぅー(その他表記)Jean Louis Barthou

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルトゥー」の意味・わかりやすい解説

バルトゥー
ばるとぅー
Jean Louis Barthou
(1862―1934)

フランス政治家。1889年代議士となり、自由主義的共和派に属する。1894年以来の数度の入閣を経て1913年首相就任、対ドイツ戦備充実に努め、兵役を3年に延長した。1922年上院議員に転じ、賠償問題委員長をも務めた。1934年の、右翼諸団体による反共和国暴動として知られる「二月六日事件」後に成立したドゥーメルグ挙国一致内閣では外相として活躍。ドイツとの軍縮交渉を受け持ったあと、ソ連国際連盟に加入させ、ついでドイツに対抗する東欧ロカルノ策(東方ロカルノ案)を推進したが、その途中マルセイユで暗殺された。

石原 司]

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改訂新版 世界大百科事典 「バルトゥー」の意味・わかりやすい解説

バルトゥー
Jean-Louis Barthou
生没年:1862-1934

フランス第三共和政期の保守的政治家。1894年以来公共事業相,内相などを歴任,1913年には首相として三年兵役法を成立させた。22年,ジェノバ会議のフランス代表。34年にはドゥーメルグ内閣の外相としてソ連と協力し,ドイツに対抗して“東欧ロカルノ”の結成につとめたが,10月,マルセイユで暗殺された。1918年以来アカデミー・フランセーズの会員で,愛書家としても知られている。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バルトゥー」の解説

バルトゥー
Jean Louis Barthou

1862~1934

フランスの政治家。温和共和派に属し閣僚を歴任し,1913年首相に就任,左翼反対を押しきり兵役を3年に延長し大戦に備えた。戦後ジュネーヴ軍縮会議にフランス代表団首席を務めた。34年ドゥーメルグ内閣の外相に就任し,小協商諸国,ソ連と提携してナチス・ドイツに対抗する「東欧ロカルノ案」を唱えたが,成功をみずして,ユーゴスラヴィア国王がマルセイユで暗殺された際,銃弾に倒れた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「バルトゥー」の解説

バルトゥー
Jean Louis Barthou

1862〜1934
フランスの政治家
閣僚を歴任し,1913年首相となる。第一次世界大戦後もしばしば入閣し,ナチス−ドイツ対策で手腕を発揮したが,来仏中のユーゴスラヴィア国王とともに暗殺された。文学者としても知られ,著書にミラボーの伝記がある。

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367日誕生日大事典 「バルトゥー」の解説

バルトゥー

生年月日:1862年8月25日
フランスの政治家,弁護士
1934年没

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