マルクス主義哲学の基本的立場を表す通称。〈唯物弁証法materialistische Dialektik〉という言い方も同義に用いられる場合がある(ただし唯物弁証法とは,元来はヘーゲルなどの観念論的な弁証法と区別して,唯物論的な弁証法という方法論上の特質を表す)。マルクス主義の始祖K.マルクスおよびF.エンゲルスは,自分の哲学を体系的な形では書きのこしていないが,後継者たち,特にドイツ社会民主党のK.カウツキーやロシアのマルクス主義者たちによって,始祖の哲学が体系的な解釈図式で整理されるようになった。そのさい,いうなれば第一哲学の位置におかれるのが弁証法的唯物論(Diamatと略記・略称されることもある)にほかならない。ヘーゲルの哲学体系における部門分類,〈論理学〉〈自然哲学〉〈精神哲学〉と対応づけるかのように,〈弁証法的唯物論〉は存在論,認識論,論理学の三位一体的な統一とされ,この第一哲学の適用的延長として〈自然弁証法〉と〈史的唯物論〉の二大部門が立てられ,これら両部門の下位に,自然諸科学および歴史的・社会的・精神的諸科学が配置される。
マルクス=エンゲルスは,唯物論とはいっても,古代ギリシアの物活論的唯物論,啓蒙期フランスの機械論的唯物論,それにまた,L.A.フォイエルバハの唯物論や生理学主義的な俗流唯物論,これら先行的・同時代的なもろもろの唯物論を批判し,弁証法的な唯物論の立場を標榜した。ただし,〈弁証法的唯物論〉という成句的表現は,マルクス=エンゲルスの自称ではなく,ロシア・マルクス主義の父と呼ばれるG.V.プレハーノフが用いはじめたものと言われる。このさい,〈弁証法的〉というのは,ヘーゲル哲学において結実した弁証法の合理的核心を批判的に継承しているからである。ヘーゲルは〈形而上学的〉と〈弁証法的〉とを対比的に用いたが,前者は自己完結的に固定的でかつ不易な実体をもって真実在とみなす立場であり,これにたいして,後者は不変不易の自己完結的な実体的存在を認めず,万象を生成流転と汎通的な相互連関・相互浸透の相で観ずる立場と言うことができる。この存在観に応じて,弁証法は,いわゆる論理の場においても,矛盾律を根本原理とする伝統的な〈形式論理学〉流の悟性論理を退ける。ロシア・マルクス主義においては,弁証法を〈客観的存在界の一般的な運動・発展の法則,および,思考におけるそれの反映〉と了解し,〈量より質への転化〉〈対立物の統一〉〈否定の否定〉を弁証法の三大法則と呼ぶ(ただし,スターリンが〈否定の否定〉を明示的には挙げなかったことに伴い,これを弁証法の根本法則からはずす見解も一時期には存在した)。マルクス主義者の内部でも,ルカーチG.などのように,自然界の弁証法を認めず,主体と客体との実践的な相互媒介の場,すなわち歴史界にしか弁証法を認めない論者もある。
弁証法的唯物論というさいの〈唯物論〉の内実について言えば,後継者たちの解釈体系においては多分に自然科学主義的な唯物論に近いものになっているが,エンゲルスは遺稿《自然弁証法》(公刊されたのはいわゆる正統派的解釈体系が成立して以後の1925年)において自然科学主義的な唯物論を厳しく退けている。エンゲルスは〈われわれは物質Materieの何たるかを知らない。誰しも物質そのものを見たり経験したりしたことはなく,現実に実存するさまざまな物Stoffeをしか経験したことがないからである。物質なるものは,物々の総体にほかならず,……“物質”とは略語にすぎない〉と言いきる。彼は《反デューリング論》においても,〈物質そのものというのは,純粋な思惟の創造物であり,純粋な抽象である〉と言い,自然科学主義的唯物論流の見地を評して,〈この見地においては物質は根源的には質的に同一だとみなされるのであって,18世紀のフランス唯物論の立場にほかならない。それは,数つまり量的規定をば事物の本質とみなしたピタゴラスへの逆行ですらある〉と批判している。マルクス=エンゲルスとしては,形相主義に対する質料主義の含意で〈唯物論〉の立場を自己規定したものと思われる。彼らが,初期における唯心論-唯物論,観念論-実在論という対比的用法から,観念論対唯物論という語法に転じたのは,ライプニッツ,フォイエルバハの用語法を踏んだものであり,現前する世界が超越的なイデーによって存在性を与えられているとするイデア主義に対して,現与の世界それ自身に存在性を認める質料主義の選取と相即するものであった。エンゲルスが,〈ヘーゲルはイデアリストである。すなわち,彼にとっては,事物とその発展は,世界に先立ってどこかしらに既に存在している“イデー”の現実化された模像なのである〉と一方で言い,他方で〈現実の世界をそれが各人に現前するがままの相でwie sie sich selbst einem jedem gibt把捉しようとする〉立場をマテリアリスムスと称するとき,超越的なイデー主義(という意味でのIdealismus=観念論)とマテリエ主義(という意味でのMaterialismus=唯物論)とが対比されていると見られる。マルクス=エンゲルスのマテリアリスムスは,日本語で観念論対唯物論というさいの唯物論とは意味を異にすること,それはまたspiritualismに対するmaterialismやidealismに対するrealismとも意味を異にすることに留意しなければならない。
→弁証法 →マルクス主義
執筆者:廣松 渉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
マルクス主義の根本的な哲学学説として、主として革命成立後の旧ソ連で解釈、整理された思想。弁証法的唯物論の自然への適用が自然弁証法であり、歴史・社会への適用が史的唯物論であるとみなされるか、もしくは、広義の自然弁証法と弁証法的唯物論が同一のものとされて、史的唯物論がその適用とみなされる。「史的唯物論は、弁証法的唯物論の諸命題を、社会生活の現象、社会歴史の研究へ適用させたものである」(スターリン)。つまり、弁証法的唯物論は、自然と社会に共通する根本原理である。
[加藤尚武]
弁証法的でない唯物論、つまりいわゆる形而上(けいじじょう)学的唯物論と、唯物論的でない弁証法、つまり観念弁証法の両方に対立し、「唯物弁証法」ともいわれる。マルクス、エンゲルスは自分の立場に「弁証法的唯物論」ということばを用いたことはない。このことばは、元来、他の哲学思想に対してマルクス主義の性格を特徴づけることばとしてプレハーノフによって初めて用いられ、レーニンに引き継がれた。デボーリン、ブハーリンによって、一定の解釈のもとに内容的に整えられたのち、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論について』(1938)によって、(1)マルクス主義を他の思想から特徴づけるとともに、(2)自然と社会に共通する原理的規定として、(3)簡潔な教条の形に定式化された。このスターリンの考え方はその後、ソ連で発行される諸種の哲学教科書の原型を形づくった。
スターリンは、唯物論の特徴として、物質、自然、存在はわれわれの意識の外に、意識から独立して存在する客観的現実であり、物質は感覚、観念、意識の源泉であることを強調したうえで、「弁証法的方法の主要な特徴」を、(1)事物、現象を相互に有機的に連関し、相互に制約、限定しあう相関的な全一体とみる。(2)自然を絶えざる運動と変化、更新と発展、発生と崩壊、衰亡としてみる。(3)液体が気体に転化するときのように、自然を量的変化から質的変化に転化する発展、飛躍的転化の形での発展としてみる。(4)矛盾が自然の事物と現象にかならず内在し、古いものと新しいもの、死滅するものと生成するもの、……その闘争が発展過程の内容を構成する、と要約した。これらの特徴づけの細部については、当然、マルクス、エンゲルスの思想との異同がさまざまに指摘されている。
[加藤尚武]
『マルクス、エンゲルス著、花崎皋平訳『ドイツ・イデオロギー』(1966・合同出版社)』▽『マルクス著、宮川実訳『経済学批判』(青木文庫)』▽『マルクス、エンゲルス著、大内兵衛他訳『共産党宣言』(岩波文庫)』
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…《聖家族》(1845),《ドイツ・イデオロギー》(1845‐46)のほか,エンゲルスとの共同執筆も多くあり,それらはいずれも《マルクス=エンゲルス全集》として刊行されている。
[思想]
マルクスの思想は〈科学的社会主義〉と呼ばれ,哲学的立場は〈弁証法的唯物論〉と呼ばれる。彼はまた〈マルクス経済学〉と呼ばれる経済学批判体系を築いた。…
※「弁証法的唯物論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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