日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケニヤッタ」の意味・わかりやすい解説
ケニヤッタ
けにやった
Jomo Kenyatta
(1894―1978)
ケニアの民族運動指導者、政治家。出身部族はキクユ。ナイロビ市庁勤務のかたわら、1922年青年キクユ協会に参加、1928年キクユ中央協会(KCA)書記長になり、翌1929年土地返還問題(イギリス植民地化に対する反対運動の一環。「ケニア」の項「歴史」の章参照)でイギリスに渡る。その後ロンドン大学、モスクワ大学で文化人類学を専攻、1938年キクユ人の慣習を書いた『ケニア山に向かいて』を出版した。第二次世界大戦中にイギリス女性と結婚。1945年の汎(はん)アフリカ主義運動第5回マンチェスター会議ではエンクルマらと事務局で活躍した。翌1946年に帰国しケニア・アフリカ人同盟(KAU)党首となり反植民地闘争を展開。1952年のマウマウの反乱直後に逮捕され、9年間獄中生活を送った。1960年ケニア・アフリカ人民族同盟(KANU)が結成され、KANUは制憲会議後に行われた選挙大勝後の組閣にあたってケニヤッタの釈放を要求。1961年8月釈放され11月KANU総裁に就任した。1963年12月独立ケニア初代首相、翌1964年の共和国移行とともに大統領に就任。1974年には終身大統領になったが、1978年8月22日病死した。
[林 晃史]