ドイツ南部,バイエルン州の都市。人口26万0407(2004)。レッヒ川とウェルタハ川に挟まれた三角台地にある。標高490m。古くからドイツとイタリアを結ぶ交通の要衝であり,現在も鉄道3線が交差し,ロマンティッシェ・シュトラーセの中間に位置する。15,16世紀には南ドイツ経済の繁栄の中心になり,フッガー家をはじめ多くの国際的巨商が輩出した。19世紀以降綿工業が発達し,現在は機械工業の中心でもある。市内には市庁舎,フッゲライ,シェツラー邸などの歴史的建造物が多く,H.ホルバイン(父),L.モーツァルト,ブレヒトもここで生まれた。2000年の歴史をもつ文化と産業の町である。
アウクスブルクの起源は古く,前15年アウグストゥス帝治下にローマの軍団の屯営が設けられ,その跡に紀元10-30年ころローマ都市アウグスタ・ビンデリクムが建設された。タキトゥスの《ゲルマニア》には〈ラエティア州の最も壮麗なる植民市〉と記されている。中世に入ると8世紀末までに司教座が置かれ(807年聖堂清祓式),10世紀に司教ウルリヒはオットー大帝と協力してマジャール人の侵攻を防ぎ(955),司教都市の基礎を築いた。11世紀には商人の町並みも発展し,1156年には同市最初の都市法を得,13世紀後半には司教の権限を抑えて市民の自治が前進し,1315年に帝国都市になった。68年都市貴族の支配が崩れてツンフトの市政参加が実現し(ツンフト革命),この体制は1548年に都市貴族の専制が復活するまで180年間続いた。この時期には,地中海貿易の中心地ベネチアとの綿花・織物・香辛料などの商業,バルヘント織と金属工芸(1612年人口4万6000中,親方織布工3024人,年産43万反),チロル地方の銀・銅山への進出と鉱産物取引,送金・貸付けなどの金融業の発展がめざましく,〈黄金のアウクスブルク〉といわれた。フッガー家をはじめアウクスブルクの商人の活動は全ヨーロッパ,新世界にも及んだ。同家のヤーコプ2世が建てた低家賃住宅フッゲライは,世界最初の公共住宅といわれる。宗教改革期には帝国議会が何度も開かれたが,諸侯と帝国都市に新旧教選択の自由を認めてルター派を公認したアウクスブルクの宗教和議(1555)もここで締結された。16世紀末には商業革命の影響をうけて同市の巨商の破産が続き,世界商業の分野から後退するが,三十年戦争の打撃(1635年には人口1万6500に減少)ののち新興のキャラコ捺染業の中心地になった。18世紀後半には6500人がこれに携わり,1000台の捺染台で年約20万反の綿布を加工していた。最大の捺染業者は〈ドイツのキャラコ王〉J.H.シューレで,その直営作業場内で350人,下請けを含めると3500人が雇われていた。ロココ建築の傑作シェツラー邸は1770年フランス王室へ嫁ぐマリー・アントアネットを迎える舞踊会で新築を祝った。1806年神聖ローマ帝国の解体によりバイエルン王国に編入され,以来バイエルン領シュワーベン地方の中心都市になった。1686年最初の日刊紙が発刊されたが,1810年J.F.コッタの《アルゲマイネ・ツァイトゥング》がここへ移った。産業革命期に綿工業が発展する。1837年織機800台,紡錘3万錘の機械綿紡織株式会社(資本金120万グルデン,年産10万反)が設立され,40年ミュンヘンとの鉄道が開通,42年商業会議所が設立された。このころ国民経済学者で鉄道建設の先駆者リストは《アルゲマイネ・ツァイトゥング》の協力者として来住し,主著《経済学の国民的体系》を完成した。66年プロイセンの軍事的勝利のもとで最後のドイツ連邦議会がホテル・ドライ・モーレンで開かれ,その解散を決議した。1840年に設立された機械工場で97年にR.ディーゼルが最初のディーゼル機関を完成したが,19世紀末から重工業の発展によって市の人口は1870年5万1220,90年7万5633,1910年10万2487と増加した。第2次世界大戦中1944年の空襲と45年の戦闘によって旧市は大きな被害をうけたが,現在は修復されている。
執筆者:諸田 實
14世紀にゴシック様式で大幅に改修増築されたアウクスブルク大聖堂(ザンクト・マリア)は,特にその南扉口のオットー朝時代の青銅扉と身廊の南窓を飾るロマネスク期のステンド・グラスで知られる。この都市はまた,ドイツ・ルネサンス美術史上重要な位置を占め,旧カルメル会修道院聖堂(ザンクト・アンナ)のフッガー家礼拝堂(1518)と市庁舎(17世紀初頭)が残されている。前者はドイツにおける最も早いルネサンス様式建築の一つであり,後者は〈市民の大聖堂〉とも呼ばれ,ドイツのルネサンス建築の頂点に立つ豪壮な建物である。A.デューラーはこの町で皇帝マクシミリアンの肖像を描き,また,H.ホルバイン(父),H.ブルクマイア等の画家もアウクスブルク出身で,この地で活躍した。
執筆者:越 宏一
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ドイツ南部、バイエルン州にある都市。アルプスから北流するレッヒ川とベルタハ川の合流点に位置する。人口25万5000(2000)。鉄道が敷かれてから以後は、ミュンヘンの発達で相対的な地位の低下は否めないが、とくに中世には南ドイツ随一の商工業都市として繁栄した。町の基礎は、古代ローマ人によってベルタハ川左岸につくられ、現在の中心街であるマクシミリアン通りはかつて商人町が成立した地である。その後、レッヒ川沿いの低地にも市街地が拡大し、運河がつくられ、水車を利用して、製粉、鍛鉄などの工業が発達した。町は一時衰退したが、19世紀になって、水力タービンを利用した紡績、織物や機械工業を興し復活した。今日ではほかに自動車、電子工業なども発達している。
文化の中心地でもあり、画家H・ホルバイン父子、この地の都市計画に従事し市役所をつくった建築家E・ホルなど多くの文化人を輩出した。市内には、ルネサンス様式の市役所、青銅の戸で有名なドーム、フッガー家の住居、フガライ住区(フッガー家による世界最初の貧民救済住宅地区)など、長い伝統を示す歴史的建造物が多い。市の南西部の公園には、かつてここに住んだディーゼル機関の発明者R・ディーゼルの記念碑が、日本人によって建てられている。
[石井英也]
紀元前15年に設けられたローマの軍団の屯営跡に、紀元後10~30年ごろローマ都市アウグスタ・ウィンデリコルムAugusta Vindelicorumが建設されたのが市の起源である。中世初め司教座が置かれ、司教ウルリヒはオットー1世と協力してマジャール人の侵攻を防ぎ(955)、司教都市の基礎を築いた。古くからドイツとイタリアを結ぶ交通の要地で、11世紀には商人の町並みが発展し(1156年最初の都市法)、13世紀後半に司教の権限が大幅に市民に委譲されて自治が前進し、1315年帝国都市になった。1368年から180年間、都市貴族に対してツンフト(同職ギルド)の市政参加が実現した。15、16世紀には地中海貿易の中心地ベネチアとの商業、バルヘント織と金属工芸、チロル地方の銀と銅の採掘・精錬・販売、金融業などの経済活動が大いに栄え、「黄金のアウクスブルク」とよばれた。人口は1550年3万2000、1612年4万6000。フッガー家やウェルザー家をはじめ多数の巨商が輩出し、その活動は全ヨーロッパ、「新大陸」にも及んだ。宗教改革期には帝国議会が何度も開かれ、ルター派を公認したアウクスブルクの宗教和議(1555)もここで締結された。商業革命の影響を受けて世界商業の分野から後退したが、18世紀には新興のキャリコ捺染(なっせん)業の中心地となった。「ドイツのキャリコ王」シューレはその代表である。ロココ建築の傑作シェツラー邸の新築祝いはフランス王室へ嫁ぐマリ・アントアネットの歓迎舞踏会であった。1806年、神聖ローマ帝国の解体によりバイエルン王国に編入され、産業革命期には綿工業が発展した。1837年機械綿紡織株式会社(3万紡錘、織機800台、資本金120万グルデン、年産10万反。現在のアウクスブルク機械綿紡織株式会社=SWA)が設立され、1840年ミュンヘンとの鉄道が開通、1842年商業会議所が設立された。国民経済学者で鉄道建設の先駆者リストは『アルゲマイネ・ツァイトゥンク』紙の協力者として来住し、主著『経済学の国民的体系』を完成した。1866年最後のドイツ連邦議会がホテル「ドライ・モーレン」で開かれ、解散を決議した。1840年設立の機械工場(現在のアウクスブルク・ニュルンベルク機械工場=MAN)で1897年ディーゼル機関が完成した。1910年には人口が10万を超えた。第二次世界大戦中、1944年の空襲と1945年の戦闘によって大きな被害を受けた。
[諸田 實]
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ドイツ,バイエルン州にある都市。ローマ皇帝アウグストゥスが紀元15年に設置した要塞が起源で,6世紀には司教座が置かれた。1276年帝国都市となり,フッガー家の出現で繁栄した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…J.アマンの木版画にH.ザックスの詩を添えて1568年に出版された《身分と手職の本》(邦訳《西洋職人づくし》)には,金銀細工師(…印章やら印つき指環,宝石をちりばめた高価な掛飾も小ものも,くさり,首飾,また腕輪も,杯やら壺の類も,ときには銀器も銀皿もつくる…),金銀箔師(金や銀を箔にのばすのがわしのしごと,画家やら型付け師,そのほか,どんな絵しごとにも使える箔つくりじゃ…),貨幣師(…刻印正しく精巧なグルデン,クローン,ターレル,パッツェン,半パッツェン,クロイツェル,ペニッヒ,よき昔のトゥール銀貨と,…良い通貨をわしは鋳出す)が載っている。南ドイツのアウクスブルクは,金属工芸の中心として外国にも知られていたが,1650年皇帝フェルナンド3世からオスマン・トルコ宮廷への贈物とスウェーデン女王の銀器が,この町の銀細工師の手で製作された。技術習得のために外国からアウクスブルクへ来住する金銀細工師もいたという。…
※「アウクスブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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