改訂新版 世界大百科事典 「パトニ討論」の意味・わかりやすい解説
パトニ討論 (パトニとうろん)
Putney Debates
イギリス,ピューリタン革命中の1647年に開かれたニューモデル軍の全軍会議における討論(10月28日~11月8日)。第1次内乱の終結を理由に軍の縮小を企てた議会に対して強硬論の高まるなかで,独立派軍幹部と一般兵士層の間に意見の食違いがみられるようになった。そこで討論を通しての説得の可能性を期待した前者が,各連隊から士官2名と兵士代表2名を集めて,ロンドン郊外のパトニの教会で開いたのがこの会議である。席上,兵士代表がレベラーズの起草した,きわめて民主主義的な成文憲法案〈人民協約Agreement of the People〉を提出したため,その内容を中心に激しい討論となった。その焦点は,革命の現状認識,選挙権の範囲,国王と貴族院の存続,の3点にあり,なかでも自然権としての選挙権を主張する兵士・レベラーズに対して,軍幹部H.アイアトンは財産による制限を主張して譲らず,討論は高揚した。しかしこの対立をみて反革命派が策動したため,兵士代表は原隊復帰を命じられ,討論は中絶した。民主主義思想史上きわめて重要なこの討論は,有能な軍書記W.クラークによってその全文が記録されて伝えられている。
執筆者:今井 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報