日本大百科全書(ニッポニカ) 「パラゴムノキ」の意味・わかりやすい解説
パラゴムノキ
ぱらごむのき
[学] Hevea brasiliensis Müll. Arg.
トウダイグサ科(APG分類:トウダイグサ科)の高木で高さ30メートルに達する。原産はアマゾン地域。複葉は3小葉で、長い柄をもつ。小葉は長楕円(ちょうだえん)形から楕円状披針(ひしん)形で、先端はとがり、長さ10~30センチメートル、幅5~12センチメートル。長さ25センチメートルほどの円錐(えんすい)花序を腋生(えきせい)し、下部に雄花、上部に雌花をつける。両花ともに花弁を欠き、萼(がく)は緑色で5、6裂する。果実は1花序に普通は1個実り、蒴果(さくか)は3室にくびれ、熟すと裂開する。種子は各室に1個ずつ含まれ、長楕円形で斑紋(はんもん)があり、長さ2.5~3センチメートル、ゴムは定植後6年以上たった木の幹を傷つけて得る乳液から生産する。幹の節部には乳管があり、先の曲がった小刀を使って、形成層を傷つけない程度に、毎朝または1日置きに傷をつけ、流れ落ちる白い乳液を容器に集め、工場に運ぶ。パラゴムノキは高温多湿で腐植質に富む深い土壌を好む。10年生で1ヘクタール当り400~620キログラムのゴムがとれる。
[湯浅浩史 2020年6月23日]
文化史
パラゴムの名はアマゾン河口のパラ(現ベレン)の港から輸出されたことにちなむ。先史時代からインディオたちは容器の防水や遊戯用のボールなどに利用していた。ヨーロッパでは防水用に使われていたが、1770年にはイギリスのプリーストリーJ. Priestleyが消しゴムとしての利用をみいだした。応用範囲が広がったのは、1839年にアメリカのグッドイヤーC. Goodyearが硫黄(いおう)を加えた硬化法を発見したことによる。このためゴムの値段は上昇し、パラゴムノキの自生地のブラジルでは、政府が、独占のため、苗の移動や種子の輸出を禁止した。イギリスのヘンリー・ウィッカムHenry A. Wickhamは1875年、アマゾン流域で集めた7万粒の種子をブラジル税関に偽って運び出した。翌年キュー王立植物園で育てられた苗が1919本セイロン(スリランカ)に送られ、栽培ゴムの時代が幕を開けた。そのときの原木の1本は現在も同地のコロンボ植物園に残る。1877年にはシンガポールにも苗木が運ばれ、東南アジアはパラゴムノキの大生産地に発展し、ブラジルの天然ゴム産業は1910年代に急速に衰えた。
[湯浅浩史 2020年6月23日]