日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビノクーロフ」の意味・わかりやすい解説
ビノクーロフ
びのくーろふ
Евгений Михайлович Винокуров/Evgeniy Mihaylovich Vinokurov
(1925―1993)
ロシア(ソ連)の詩人。州都・ブリャンスク生まれ。第二次世界大戦に10代で従軍し、前線で戦った経験をもつ「戦中派」世代に属する。戦後、モスクワのゴーリキー文学大学に学び、卒業の年、1951年に、戦争体験をもとにした最初の詩集『義務についての詩』が出版される。1952年共産党に入党。詩人としての名声を確立したのは次の詩集『青』(1956)で、これはパステルナークに高く評価された。以後、『告白』(1958)、『人間の顔』(1960)、『言葉』(1962)、『音楽』(1964)、『リズム』(1966)、『見世物』(1968)、『コントラスト』(1975)、『存在』(1982)、『宇宙創造』(1983)、『宿命』(1987)などの詩集が続々と出版され、生涯に出版した詩集は約30冊を数える。
前衛的な形式の実験とは無縁で、平明で伝統的な詩法を守りながらも、思弁的な深みのある、当時のソ連では珍しい哲学的抒情(じょじょう)詩を書き続けた。その詩は正確なディテールと表情豊かなリズムを特徴とし、ときにユーモアも感じさせる。1960年代から70年代にかけてソ連国内で人気が高く、批評家にも高く評価されたが、人前で朗読することを好まず、また政治的・時事的な話題に触れて注目されることもなかったため、比較的地味な存在にとどまり続けた。そのせいで、重要さのわりに国外であまり知られることがなかった。
1983~84年には、全3巻計1500ページを超える著作集がモスクワで出版された。その序文で、「詩とは何か? それは一つのものではない。詩とは音楽であり、義務であり、絵画的光景であり、意味を運ぶ言葉であり(中略)、内面の声であり、外面のリズムである」と自ら述べている。政治的イデオロギーにとらわれない、柔軟かつ多面的な詩人の立場がこういった言葉からうかがえる。
母校のゴーリキー文学大学で長く教鞭(きょうべん)をとり、また1971年から87年にかけて文芸誌『新世界(ノーブイ・ミール)』の詩部門の責任者も務めた。訳詩や評論などのすぐれた仕事もある。『詩と思考』(1966)は、いかにもこの詩人らしいタイトルを冠した詩論集。
[沼野充義]