フィチーノと並ぶルネサンス・イタリアの代表的プラトン主義思想家。ミランドラ城主の末子として生まれ,ボローニャ,パドバ両大学で学んだが,フィチーノにひかれて哲学に関心を注ぎ,一方,ギリシア語,ヘブライ語からアラム語,アラビア語まで修得して天才的博識をうたわれた。フィチーノの〈永遠の哲学〉に共鳴し,現実世界の対立を,その底を貫いて存在する同一性の自覚によって融和させようと試みる〈哲学的平和〉を主唱した。この平和の理想を実行に移すべく,全世界から自費で哲学者,神学者を招いて1486年ローマで世界哲学会議を開催し,諸教義に一致点を見いだしうるか否かを討議しようとした。この冒頭を飾るべきピコの演説草稿が,有名な《人間の尊厳性について》(1486)である。しかしこの計画は教会から異端視されて妨害をうけ,ピコはパリに逃れる。その後フィレンツェに招かれてプラトン・アカデミーの有力な会員となるが,サボナローラ革命に巻き込まれて94年毒殺された。
ピコの哲学は,人間中心性の自覚という基本点で,フィチーノの同一線上にあるが,多くの点でそれを超えた独創性にみちている。世界は天界,天使界,元素界に三分され,中間の天使界はすなわち精神界であり,これが全世界秩序の中間に位置して両世界を結ぶロゴスの世界,すなわち人間の世界であると考えて,人間中心性の立場をとる。しかし神と人間との間には,フィチーノと異なって,無限の隔りがあるとして,神の超越性が強調される。一方,人間精神は,みずからの選択によって神の世界にも生まれ変わることができるし動物界に成り下がることもできると考え,その自由な選択にこそ人間の価値があるとして,瞠目すべき自由意志説を唱えた。これは占星術的宿命論に対する攻撃とともに,ピコを近代思想の先駆者とするものである。ピコが融合を試みた諸思想は,ヘルメス,ゾロアスター,オルフェウスからオッカムやドゥンス・スコトゥスに至る,あらゆる時代と民族の思想を包括した遠大なもので,ルネサンスの自由精神の頂点を形成するものである。
執筆者:清水 純一
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イタリア・ルネサンス期の哲学者。北イタリア、ミランドラの領主の子として生まれる。14歳にしてボローニャで教会法を学び、フェッラーラで文学、哲学に接し、パドバでスコラ的アリストテレス主義とアベロエス主義の体系的研究を始め、アラビア、ユダヤの思想にも興味をもった。さらにフィレンツェに出てフィチーノをはじめとするプラトン・アカデメイアの人々と親交を結び、パリ滞在を経て、1486年イタリアのペルージアでカルデア人の書物、カバラ、コーランを研究後、ローマで『哲学、カバラ、神学の諸結論』を出版した。
この書物は、いろいろな国の宗教的、哲学的伝統は共通な源泉をもつという確信から、それらの総合を目ざして、自分が学びえたあらゆる立場の考え方を集めた402の論題と、自ら新しい哲学的解決を導入したり、キリスト教の真理を種々な文化伝統の収斂点(しゅうれんてん)として証明しようとする論題など、900にも上る論題をまとめたきわめて広範な集大成である。ときに弱冠23歳であった。この論題について、1486年にローマで公開討論するため、多くの学者に招待状を出すが、法王庁が疑義をもち、討論は禁止された。このとき書かれたのがのちに著作となった『人間の尊厳について』である。その思想は、あらゆる宗教、哲学を総合しようと折衷的特徴が多くみられるが、本質的にはプラトン的色彩が強い。
[大谷啓治 2015年10月20日]
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…(2)ルネサンス,マニエリスム 盛期ルネサンスからマニエリスムにかけて,アレゴリー表現は開花期を迎える。とくにフィレンツェのフィチーノやピコ・デラ・ミランドラらの新プラトン主義者たちの果たした役割は大きく,〈聖書と神話との間に,かつて夢想もしなかった和解の可能性〉(セズネック)が提示された。ティツィアーノの《聖愛と俗愛》(1515ころ)には永遠の幸福と一時的な幸福(チェーザレ・リーパ),キリスト教的な高次の精神と低次の精神,新プラトン主義的な存在の2種のあり方(パノフスキー)など,種々のアレゴリーが指摘される。…
…オカルティズムはまずルネサンス期に,キリスト教的中世のなかでは表面から隠されていたさまざまな古代の知を総合して再生せしめようとする精神運動のなかにあらわれた。フィレンツェではフィチーノがプラトンや新プラトン主義者たちの著作の翻訳を通じて,その弟子ピコ・デラ・ミランドラがヘブライ語=カバラ研究を通じて,それぞれ古代の隠された知をよみがえらせ,ルネサンス芸術の理論的支柱を提供した。北方ではピコの盟友ロイヒリンやトリテミウスの後をうけて,ネッテスハイムのアグリッパが,中世を通じてスコラ学的に形骸化され,わずかに悪魔学や天使学に退化した姿をとどめるのみだったオカルティズム理論を,錬金術や占星術のような自然界に依存する分野にはじめて適用した(《隠秘哲学》1531)。…
…この中核がフィチーノを長とするプラトン・アカデミー(アカデミア・プラトニカ)で,メディチ家のバック・アップもあって,周囲に傑出した文化人を集めた。ポリツィアーノは古典研究を批判的文献学にまで高めた第一人者であり,ピコ・デラ・ミランドラは《人間の尊厳性》を著して,フィチーノの人間中心の思想を自由意志の哲学へと発展させて,人文主義の頂点を極めた。彼らの活躍によってフィレンツェは〈花の都〉とうたわれ,世界中から留学生が集まった。…
…世界の中の人間の位置,自然の構造の新しい探究方法として,しかも当然のことながら,キリスト教的な世界観との融合を前提として,魔術はもう一つの知の体系たりえたのである。たとえばピコ・デラ・ミランドラは,魔術的な超自然的行為も結局は神に帰するものとして理解すべきであると説き,あるいはネッテスハイムのアグリッパは,異教的な魔術の存在を認めつつなお,カトリック信仰こそ真の魔術の源泉であると主張している。そうした場合の魔術(とくに〈自然魔術〉)は,〈すべての自然の事物と天界の事物とをひき起こす力を考察し,それらの間の相互関係を詳しく探究し,その間の目にみえない神秘的な力を知るための術〉であり,その知識を得ることによって,〈奇跡と思われるような驚くべきことを起こさせる〉ものである,と定義される。…
※「ピコデラミランドラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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