アメリカの天文学者。ボストンに生まれ,大学で土木を学び,1867年新設のマサチューセッツ工科大学の物理学の助教授,76年にハーバード大学の天文学教授となり天文台長を兼ねた。42年間その職にあり,アメリカの天文学をリードした。星の明るさを測る子午線光度計を考案して測光観測を行い,のちに南天の星を加えて6.5等よりも明るい全天9100個の星の《ハーバード改訂測光カタログ》(略称HR)を作った。HR番号は今でも星の名まえとして広く用いられる。80年代に写真術が天文学の道具として導入されるや,屈折望遠鏡の対物レンズの前に大型のプリズムをつけて写真をとれば一度に多くの星のスペクトルが撮影できることに着眼して,全天の星のスペクトルを調べる大事業を開始した。このため南アメリカのペルーに出張所を置いたが,その資金は医学者兼アマチュア天文家ドレーパーの遺産などによって援助された。星のスペクトル分類学はピッカリングがA.J.キャノンなど門下生とともに発展させたもので,このハーバード式分類は現用のスペクトル分類の基本となった。およそ9等よりも明るい23万個の星のスペクトルのカタログは《ヘンリー・ドレーパー星表》として1918-24年に出版された。また1889年にはおおぐま座ζ星のスペクトル線が2本に分かれて周期的に移動する現象,すなわち分光連星の第1号を発見,同年,とも座ζ星などO型星のスペクトル中に水素の系列線と似た法則性をもつ別種の系列を発見した。これがピッカリング系列で,その実体がヘリウムのイオンであることは後年原子物理学の発達によって初めて明らかになった。ハーバード大学の天文台が20世紀前半の天文学をリードする立場を確保したのは実にピッカリングの業績に裏づけられているわけである。
執筆者:大沢 清輝
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アメリカの天文学者。広範な恒星の光度表と分光表の作成者。ボストンに生まれ、1865年ハーバード大学を卒業。1867年マサチューセッツ工科大学の物理学教授となり、教育用実験の器具装置を初めて設備した。1876年ハーバード大学天文学教授兼同天文台長に就任し、1882年に天体測光術を、1885年に恒星分光術を再検討した。まず子午線光度計を発明のうえ、4万5000個余の恒星の光度を組織的に測定して、国際的基準を設定した。1891年にはペルーのアレキパに天文台支所を開設し、全天の精査結果を1908年に『改訂ハーバード光度星表』の名で公刊した。またこれと並行して全天にわたる分光観測も、ドレーパーの意図を発展させて組織的に継続していった。対物プリズムを駆使し、天文台員が総力をあげた成果として、1917年『ヘンリー・ドレーパー分光型星表』が完成。イギリス王立天文協会の金賞を1886年、1901年の2回授与されたが、その観測歴は42年、撮影写真は30万枚に及ぶ。
弟のヘンリーWilliam Henry Pickering(1858―1938)も天文学者。マサチューセッツ工科大学を卒業。アレキパに天文台支所を建設の際は兄に協力し、またアメリカ・アリゾナ州のローウェル天文台建設でも尽力した。1898年、土星の第9衛星フェーベPhoebeを発見した。
[島村福太郎]
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