日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファンファーニ」の意味・わかりやすい解説
ファンファーニ
ふぁんふぁーに
Amintore Fanfani
(1908―1999)
イタリアの政治家。ファシズム体制下でミラノの聖心大学の経済史教授を務めるとともにカトリック青年組織の活動家でもあった。カトリック協同体思想による社会改革の構想を抱き、第二次世界大戦直後キリスト教民主党に入党すると党内左派を形成した。1946年の制憲議会議員を振り出しに、デ・ガスペリ時代の閣僚を歴任し、とりわけ第七次デ・ガスペリ内閣の農相(1951~1953)として農地改革を断行し、党幹事長に就任すると(1954~1959)、党組織の民主化を敢行した。また中道左派政権の推進者になり、1960年代にそれを実現させた。6期首相を務め、第四次内閣(1962~1963)では電力産業の国有化で注目された。しかし1974年の離婚法国民投票の際の党幹事長(1973~1975)としての態度、あるいは第五次内閣(1982~1983)における労働界との対決姿勢にみられるように、晩年は大衆に背を向ける保守主義が目だつ。それは共和国大統領の選挙に二度(1964年と1971年)も失敗したことからカトリック改革派のイメージを捨てて、伝統主義に転じたためといわれる。三度上院議長を務め(1969~1973、1976~1982、1985~1987)、終身上院議員でもあった。
[重岡保郎]
『A・ファンファーニ著、松浦保訳『資本主義・社会性・参加』(1977・日本放送出版協会)』