フイヤン派
ふいやんは
Feuillants フランス語
フランス革命期の立憲・立法両議会における党派。自由主義貴族と上層ブルジョアジーを代表する。初めバルナーブ、デュポール、ラメット兄弟を指導者とする三頭派として発足。1789年9月ごろから議会を支配し、ブルジョア的立憲王政を推進した。1791年6月ルイ16世のバレンヌ逃亡事件を契機に、ラ・ファイエット派と合流し、ジャコバン・クラブから分裂し、別に「フイヤン・クラブ」を結成した。フイヤンは、本部を元フイヤン修道会の建物に置いたことに由来する。シャン・ド・マルスの虐殺(1791)などで人民を抑えて王権と妥協し、「1791年憲法」によって制限選挙に基づく立憲王政を確立した。憲法下の立法議会では、初期の議会を支配したが、まもなくジロンド派に多数を制された。
[樋口謹一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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フイヤン派
フイヤンは
Feuillants
1577年フイヤン修道院院長 J.パリエールの改革によって生れたシトー会士をさす。国王アンリ3世が彼らをパリに呼び,現在のサントノレ街とチュイルリー宮殿のテラスとの間に居を定めた。 68年には 162人の修道士を数え,86年教皇シクスツス5世はフイヤン派の独立を許した。 91年解散。また,フランス革命期のフイヤン・クラブを結成した右派をさす語でもある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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フイヤン派
フイヤンは
Feuillants
フランス革命期の立憲王政派
自由主義貴族やブルジョワ層を主体とし,1791年7月ジャコバン−クラブを脱退したメンバーがフイヤン修道院に本部を置いたので名づけられた。政治的には立憲王政派で,1791年憲法の維持を主張,立法議会では右派となる。しだいに反革命的性格を示し,1792年8月の民衆蜂起による王権の停止宣言以後,衰退した。おもなメンバーとしてバルナーヴ,ラファイエット,シェイエス,バイイらがいる。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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