ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィンケ」の意味・わかりやすい解説
フィンケ
Vincke, Friedrich Ludwig, Freiherr von
[没]1844.12.2. ミュンスター
ドイツ,プロシアの政治家。ウェストファリア地方の名門貴族の出。カメラリスムスの国家経営学を修め,ゲッティンゲン大学ではアダム・スミスの理論からも大きな影響を受けた。 1804年プロシア西部諸州の行政官となってから改革的な施策を行なった。 K.シュタインに重く用いられ,その改革事業に協力,とりわけイギリス的な自治理念の実現を主張したが,10年に K.A.ハルデンベルクと衝突して退官。 15年にはウェストファリア州長官として政界に復帰し,25年にはプロシアの枢密参議官に任じられた。プロシア貴族社会の近代化についての構想は実現をみなかったが,工学教育の助成に功績をあげた。
フィンケ
Vincke, Georg, Freiherr von
[没]1875.3.6. バートエインハウゼン
ドイツ,プロシアの政治家。法学を修め,国王フリードリヒ・ウィルヘルム4世や保守派の勢力に対抗しつつ,イギリス的な立憲君主制の原理に立ち,右派自由主義者として三月革命期にはフランクフルト国民議会で急進派と戦った。革命後は穏健自由主義派の指導者として,プロシア下院で活躍したが,61年ドイツ進歩党の結成によって彼の党派が分裂してのちは,次第に時代から取残された。
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