日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォト・セセッション」の意味・わかりやすい解説
フォト・セセッション
ふぉとせせっしょん
Photo Secession
20世紀初頭のアメリカの写真芸術グループ。1902年、写真家アルフレッド・スティーグリッツの主導によりニューヨークのナショナル・アーツ・クラブで開催された「アメリカ絵画主義写真」展を契機として、スティーグリッツやガートルード・ケーゼビアGertrude Käsebier(1852―1934)、エドワード・スタイケン、クラレンス・ホワイトClarence White(1871―1925)ら同展の主要な出品者13名により結成された。当初はアメリカにおける芸術表現としての絵画主義写真(ピクトリアル・フォトグラフィ)の確立をめざす写真家たちの理念的な結びつきとして出発するが、1902年末にはスティーグリッツを代表とする設立メンバーによる委員会および正・準会員という組織形態が整い、最終的にはアメリカ各地およびカナダや日本に居住する写真家105名が会員となった。「分離派(セセッション)」という名称は旧来の写真団体や写真表現との決別による新しい運動の理念を表す。ウィーンやミュンヘンの分離派運動の精神に共鳴して選ばれたものであるが、直接の結びつきはない。ワシントンのナショナル・ギャラリー(1903)、コーコラン・ギャラリー(1904)、ピッツバーグのカーネギー・インスティテュート(1904)などアメリカの主要な美術館で開催した展覧会の成功を通じて、アメリカの写真表現をリードする写真家集団としての評価を確立し、また季刊誌『カメラ・ワーク』Camera Work(スティーグリッツ編集・発行。1903年創刊、17年まで刊行。全50巻)や、ニューヨーク5番街291番地に開設したリトル・ギャラリー・オブ・ザ・フォト・セセッション(通称291ギャラリー。1905~17)を拠点にメンバーおよび国内外のすぐれた写真家の仕事を紹介するなど、写真芸術の啓蒙・普及活動を展開した。1910年にニューヨーク州バッファローのオルブライト・ギャラリーで開催した「絵画的写真国際展」を最後に事実上活動を終える。
カメラという機械による映像である写真は、精神的な活動の産物である芸術作品にはなりえないという写真批判に対して、主題や構図を絵画に学び、レンズの選択や焼付けの際のさまざまな工夫によって画質を操作して、写真に絵画的な質や精神性を付与しようとした絵画主義写真は、写真が高い芸術性を示しうることを証明する一方で、やがて過度の印画処理や表現の類型化という閉塞状況を招くことにもなった。絵画主義写真を標榜しつつも、写真が絵画の模倣でなく、あくまで写真として自律しつつ、すぐれた表現をめざすべきであるという考えからストレート・フォトグラフィ(撮影や現像、焼付けなどの各プロセスで特殊な処理を行わず、対象をストレートに描写する作風)の理念を提唱したスティーグリッツの方向性は、徐々にフォト・セセッションの多くの写真家たちと齟齬(そご)をきたすことになった。
『カメラ・ワーク』や291ギャラリーは、マチスやピカソ、ロダンなどヨーロッパの先鋭的な美術をアメリカに紹介する窓口としての役割を果たしたことでも知られるが、そうした側面は、絵画主義写真のエリート集団としてのフォト・セセッションの集大成であり、終結ともなったオルブライト・ギャラリーでの展覧会を境に本格化した。ピカソのキュビスム作品など20世紀美術の幕開けを告げる新しい美術の潮流を吸収しながら、フォト・セセッション以後のスティーグリッツは、絵画主義写真の枠を乗り越え、ストレート・フォトグラフィの理念を、より写真の特性を重視する近代的な写真表現へと展開させていった。
[増田 玲]
『Robert DotyPhoto-Secession; Stieglitz and the Fine-Art Movement in Photography (1978, Dover, New York)』▽『Alfred Stieglitz, Sarah Greenough, Juan HamiltonAlfred Stieglitz; Photographs and Writings (1983, Bulfinch, Boston)』▽『Alfred StieglitzCamera Work; The Complete Illustrations 1903-1917 (1997, Taschen, Köln)』