埼玉県南部の市。2005年10月上福岡(かみふくおか)市と大井(おおい)町が合体して成立した。人口10万5695(2010)。
ふじみ野市南西部の旧町。旧入間郡所属。人口4万5488(2000)。武蔵野台地の北東部に位置する。町の東端にある大井は,江戸時代は川越街道の宿場町で馬6匹を常備し,本陣もあった。かつては畑や雑木林が多く,麦,サツマイモを産し,ほうき作りなどを行っていたが,1960年代に入って,日清製粉や東亜燃料(現,東燃ゼネラル石油)の中央研究所,日本楽器の工場などが進出し,住宅団地も建設されて都市化が進んだ。人口増加が最も激しかったのは70年代前半で,70-75年の人口増加率は63%に達した。東武東上線で東京区部に通勤・通学する者が多い。農業は野菜が中心。町名の由来となった大井戸が75年に発掘され,復元されている。
執筆者:千葉 立也
ふじみ野市北東部の旧市。1972年入間郡福岡町が市制を施行し同時に上福岡市と改称。人口5万4630(2000)。武蔵野台地北東縁に位置し,東部は新河岸川の低地となる。江戸時代は新河岸川の福岡河岸があり,大正初期まで船運が続いたが,1914年東上鉄道(現,東武東上線)の福岡駅(現,上福岡駅)が開設され,27年日本無線電信福岡受信所,41年陸軍火工厰がつくられた。第2次世界大戦のころまでは純農村で,台地上は平地林と畑が多かった。東京の都心から30km圏にあるため,59年の日本住宅公団霞ヶ丘団地,翌年の同公団上野台団地(旧火工厰跡)の入居を契機として住宅地化が急速に進んだ。60年町制がしかれ,東上線も複線化され,60-70年の間に人口が3倍以上に急増したが,90-95年はわずかではあるが減少傾向がみられる。首都近郊の典型的なベッドタウンで,都心への通勤・通学者が多い。
執筆者:新井 寿郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
埼玉県南部に位置する市。2005年(平成17)、上福岡市(かみふくおかし)、入間(いるま)郡大井町(おおいまち)が合併して成立。西部は武蔵野台地および同台地の縁辺にあたる平坦地、東部は荒川低地からなり、東端部を北から南へ新河岸川(しんがしがわ)が流れる。中央部を国道254号、東武東上線、その東方を富士見川越道路(国道254号バイパス)が通り、西端部を関越自動車道がかすめる。
東に荒川低地を見下ろす滝(たき)地区の台地上には、3世紀から5世紀中頃にわたって築造された権現山墳墓群(ごんげんやまふんぼぐん)(県指定史跡)がある。市域は戦国期には小田原北条氏の支配下にあり、江戸時代は多くが川越藩領で推移した。江戸時代、大井は川越街道の宿場(大井宿)として繁栄。また吉野屋(1棟残る土蔵は国登録有形文化財)・江戸屋など3軒の回漕問屋が公認されていた福岡河岸は、新河岸川の舟運(しゅううん)で活況を呈した。同舟運は、江戸末期‐明治中頃に最盛期を迎えるが、1912年(大正1)には東上鉄道(現、東武東上線)池袋―川越間が開通。新河岸川の洪水被害対策もあって、福岡橋の新設や河道の変更工事などが行われ、舟運は衰退。1942年(昭和17)陸軍造兵廠川越製造所が全面操業を始めると、市域に集団住宅や徴用工舎が建設され、農地の宅地化が進んだ。第二次世界戦後、造兵廠の跡地は大日本印刷や新日本無線の工場用地、また小中学校などの公共施設になった。昭和30年代半ば以降、大型団地の造成や周辺での宅地開発が進み、人口も急増している。面積14.64平方キロメートル、人口11万3597(2020)。
[編集部]
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