フラミニヌス
Titus Quinctius Flamininus
生没年:前229?-前174
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フラミニヌス
Flamininus, Titus Quinctius
[生]前227頃
[没]前174. ローマ
古代ローマの軍人,政治家。ギリシアに好意をもち,前 198年アカイア連盟と結んでマケドニアのフィリッポス5世と戦い,彼を譲歩させて前 196年コリントでギリシア人の自由を宣言,そのためギリシア人から救世主とたたえられ神々と並んで祀られた。前 192年にも東方におもむき,スパルタ王ナビス,シリア王アンチオコス3世と戦い,アカイア連盟を守った。また前 183年にはビチュニア王プルシアスにハンニバルの引渡しを要求する使節となった。執政官 (コンスル,前 198) ,戸口総監 (ケンソル,前 189) をも歴任,外交手腕にすぐれ,ギリシアの自治を支持するリベラルな政策をとった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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フラミニヌス
ふらみにぬす
Titus Quinctius Flamininus
(?―前174)
古代ローマの軍人、政治家。紀元前198年若くしてコンスル(統領)となり、マケドニア王フィリッポス5世に勝利を収めて第二次マケドニア戦争を終結させた。前196年イストミアの祭典で「ギリシア人の自由」を宣言し、ローマによるギリシア、マケドニア支配の基礎を固めた。のちスパルタ王ナビスを破り、アルゴスをもローマの支配下に収めた。彼による一連の東方征服は、ローマがのちにギリシア、小アジア方面へ勢力を拡大していく基礎を築くことになった。
[田村 孝]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のフラミニヌスの言及
【ローマ】より
… 他方東部地中海に向かっては,アドリア海の海賊撲滅に続き,イリュリクム王国と2度の戦争(前229‐前228,前219)でこれを破ってイリュリクム海岸を勢力下に入れ,カルタゴの将軍ハンニバルの同盟者[マケドニア]の王フィリッポス5世と戦い(第1次マケドニア戦争。前214‐前205),これを制し,マケドニアの勢力回復におびえたロドスとペルガモンの求めに応じてローマは第2次マケドニア戦争(前200‐前196)に踏み切り,将軍フラミニヌスはテルモピュライでマケドニア軍を破った。続いて,ハンニバルがそのもとに亡命していた[シリア王国]のアンティオコス3世と戦争に入り(前192‐前189),これをマグネシアの地で破った。…
※「フラミニヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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