オランダ生れのアメリカの考古学者。メソポタミアの歴史に〈初期王朝期〉を提唱し,前4~前3千年紀の考古学的研究を体系づけた。アムステルダム大学で歴史を学び,ロンドン大学のW.M.F.ピートリーのもとで考古学を修得して修士の学位を得たのち,ライデン大学で1927年に博士号を取得した。ピートリーのエジプト調査に参加し,ギリシア考古学研究学院の研究員を経て,1925-29年の間エジプトの調査学会が行ったアマルナなどの調査隊長を務めた。この間に発表した《近東初期の土器研究Studies in Early Pottery of the Near East》2巻(1924,27)は,土器のある特徴を特定の人種と単純に結びつけて人種の拡大を論ずる従来の方法を大きく変革するものであった。29年にシカゴ大学オリエント研究所のイラク発掘隊長になり,ディヤラ川流域にある,主として前3千年紀に属するカファジェ,テル・アスマルなど4遺跡とアッシリア時代のコルサバード,ジェルワンを発掘した。カファジェとテル・アスマル遺跡の層位的発掘により,ジャムダット・ナスル期から初期王朝期末までの編年を確立し,それに基づく円筒印章と彫刻の研究は,メソポタミア美術史の研究に大きな転機をもたらした。さらにこの調査を通じて考古学者と文献学者の共同研究の方向を示した。32-49年には同研究所の教授として,報告書の出版と教育にあたった。49年にはロンドン大学の前古典古代史教授に転じたが,まもなく57歳の若さで死去した。エジプトを含めた古代オリエントの文献史料をも取り込む総合的な研究にたえず注目し,それぞれの地域と時代についての特性を解明しようとした。多くの著書と共著のうち《古代オリエント文明の誕生》(1951)と《哲学以前--古代オリエントの神話と思想》(1946)の2冊が翻訳されている。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカ合衆国、ケンタッキー州北中部の都市で、同州の州都。人口2万7741(2000)。オハイオ川の支流ケンタッキー川に面した河港で、両岸に市街地が広がる。周囲はブルーグラスとよばれる牧草地帯で、農業地帯の中にあり、タバコ、家畜の集散地であるが、バーボン・ウイスキーの醸造、金属製品、自動車部品、靴、衣服などの工業もある。雇用労働者数の多いのは州政府とその関係機関である。
1770年ダニエル・ブーンがこの地に到達し、86年に村となり、92年にケンタッキーが州に昇格すると同時に州都となった。市街地の一角には、多くの将軍や知事、連邦議会議員の生家を集めたセレブリティ・コーナーがある。
[菅野峰明]
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…しかし土器の詳細な研究と新発見によって,二つともに成立の根拠を失った。1920年代にフランクフォートは西アジア,エジプト,地中海世界の土器について総合的な研究を行い,彩文土器が存在するという事実だけで各地の文化と人間の移動を関連づけていた従来の系統観を批判して,各地域間の類似性と独自性とを明確に区別し,彩文土器を特定の民族の所産とみなす偏見を粉砕した。他方,現在までに知られている最古の彩文土器は,イラン西部から北メソポタミア,シリア,アナトリアにまたがる前6000年ころ(炭素14法年代)の層において知られており,ほとんどの地域で土器そのものの初現に近い年代を示しているばかりでなく,鉄器時代に彩文土器を使用していた地域もあるので,文化の発達の指標としてよりもむしろ土器を使用する社会における彩文土器の役割が重要な問題である。…
※「フランクフォート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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