ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
フリードリヒ・ウィルヘルム1世
フリードリヒ・ウィルヘルムいっせい
Friedrich Wilhelm I
[没]1740.5.31. ポツダム
プロシア王 (在位 1713~40) 。フリードリヒ1世 (3世)の子。外政面では神聖ローマ皇帝カルル6世の国事詔書承認の代償としてユーリヒおよびベルク両公国の領土確保を要求したが,皇帝の不履行により,プロシアとオーストリアは対立することとなり,反皇帝側と同盟した。一方内政面では,借入金や外国からの補助に依存してきた国家財政を建直すため,質素倹約を徹底し,滅私奉公を信条として国民生活のすべてに国家の干渉を行なった。 1723年総監理庁を設け,中央政府の形態をそなえたが,決定はすべて王の意志により,官房を通じて政府に伝達され,軍隊組織は,33年にカントン制度を採用し,農民の子弟,手工業職人にその義務を負担させ,別に将校団養成のため,貴族の子弟を強制的に新設の幼年学校へ送った。彼のもとで財政,行政におけるプロシアの絶対主義体制は完成し,常備軍も著しく増強され,この国庫と軍隊がフリードリヒ2世 (大王)のもとでプロシアをヨーロッパ列強の地位に高めることとなった。
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