日本大百科全書(ニッポニカ) 「フロム」の意味・わかりやすい解説
フロム
ふろむ
Erich Fromm
(1900―1980)
新フロイト派の精神分析家、社会思想家。フロイトの精神分析の立場から、その理論を自由主義社会の社会的・文化的現象に応用し、文明の病を診断するとともに、人間性に基づく「正気の社会」の実現を目ざした。
1900年3月23日、ドイツのフランクフルトにユダヤ人として生まれる。ハイデルベルク大学で社会学、心理学を学んだのち、ミュンヘン大学、ベルリンの精神分析研究所で精神分析の訓練を受けた。1930年から1933年にかけ、ホルクハイマーの主宰するフランクフルト社会研究所に所属していたが、ナチスを避けてアメリカに亡命。コロンビア大学(1934~1941)、ベニントン大学(1941~1950)などを経て、1951年からメキシコ国立大学で教鞭(きょうべん)をとった。1974年にメキシコを去って、晩年をスイスで過ごし、1980年3月18日に没した。
『自由からの逃走』(1941)、『正気の社会』(1955)など数多くの著作を著し、講演を行ったが、理論的な立場は、フロイトの精神分析とマルクスの仕事とを統合することにあった。彼はサリバンやホーナイとともに、フロイトの生物学的本能論や個人的心理学を批判し、人間の性格は社会的・文化的要因から形成されると考えた。また、個人の性格よりも特定社会の成員に共通する性格に注目して、社会的性格の概念を唱えた。彼によると、近代人は中世社会の共同体的拘束から解放され、個性を発達させる自由を獲得したものの、反面では孤独と無力感にさらされずにはいない。その結果、近代人はこれらに耐えきれずに「自由からの逃走」を行うとともに、こうした近代人の社会的性格が権威主義的性格(サド・マゾヒズム的傾向)の温床になる、と指摘した。この指摘は、ファシズムとりわけナチスの社会心理の優れた分析であった。また、人間が疎外された現代の高度な産業社会の病からの回復の方策を、人間が本来所有するはずの創造的活動や愛に求めた。ここから彼の精神分析はヒューマニズム心理学とよばれた。
学問研究のみではなく、平和運動や、アメリカ大統領選挙などの、実践活動にも参加した。
[亀山佳明]
『日高六郎訳『自由からの逃走』(1951・創元社/新版・1965・東京創元社)』▽『エーリッヒ・フロム著、外林大作訳『夢の精神分析』(1953・創元新社/改訂新版・1971・東京創元社)』▽『加藤正明・佐瀬隆夫訳『正気の社会』(1958・社会思想社)』▽『R・フンク著、佐野哲郎・佐野五郎訳『エーリッヒ・フロム』(1984・紀伊國屋書店)』