改訂新版 世界大百科事典 「ブラウン事件判決」の意味・わかりやすい解説
ブラウン事件判決 (ブラウンじけんはんけつ)
Brown v. Board of Education
1954年,アメリカ合衆国最高裁が公立学校における白人と黒人の別学を定めた州法を違憲とした判決。当時,南部を中心に20余りの州が,南北戦争後の人種隔離政策segregationに根ざす別学制度をとっていた。1896年の最高裁先例〈プレッシー対ファーガソン判決〉は,白人と黒人の設備が同等であれば,人種の違いを理由に隔離することを認めていた。事件は黒人であることを理由に娘の入学を拒否されたカンザス州トピーカのオリバー・ブラウンが,教育委員会を告訴したもので,本判決は,先例の〈分離しかし平等〉という法理は公立学校教育の分野に適用されないとし,〈分離された教育は本質的に不平等である〉と判断した。この判決を契機に,差別撤廃の公民権運動がたかまり,交通機関,ホテル,劇場,病院,墓地などにおける隔離制度が崩れた。最高裁は1955年に〈可及的速やかに〉共学制度に移行せよと判決(Brown Ⅱ)したが,南部各州の抵抗が続き,共学は1960年代の終りまで地方の小学区でも進展しなかった。70年代には,都市の学区における共学のためのバス通学が政治問題となった。都市への人口集中と白人と黒人の居住区の分化が進むほど,公立学校における両人種の共学は事実上難しくなっている。
執筆者:藤倉 皓一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報