ブルンチュリ(読み)ぶるんちゅり(その他表記)Johann Kasper Bluntschli

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルンチュリ」の意味・わかりやすい解説

ブルンチュリ
ぶるんちゅり
Johann Kasper Bluntschli
(1808―1881)

19世紀ドイツの代表的法学者。スイスチューリヒ生まれ。1827年ベルリン大学で歴史法学者サビニーに学び、1828~1829年ボン大学でローマ法の相続法関係の論文で博士号を取得。1833年チューリヒ大学助教授、1836年教授。1837年議員に当選、「自由・保守党」を創立し、急進・守旧両派に対抗して自由主義的改革を図る。1848年ミュンヘン大学に移る。1861年にはハイデルベルク大学に転ずる。ここでも政治活動を行い、ビスマルクの統一政策を支持。主著『一般国法学』(1851~1852)は国家有機体説の立場から社会契約説を批判し、国家主権説を唱えて、反動的な家産国家論や絶対君主論とその対極にある人民主権論をともに排撃した。この本は加藤弘之(ひろゆき)によって『国法汎論(はんろん)』(1876)として抄訳され、明治政府の正統性を弁護する役割を担った。ほかに『ドイツ私法』(1853)、『一般国法学および政治学史』(1864)、『近代国際法』(1868)など。

田中 浩 2018年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルンチュリ」の意味・わかりやすい解説

ブルンチュリ
Johann Kaspar Bluntschli
生没年:1808-81

ドイツの法学・政治学者,政治家。スイスのチューリヒに生まれ,ベルリンとボンの大学に学び,法学博士となる。チューリヒの法務官僚を経て,1833年新設のチューリヒ大学教授となり,出世作《チューリヒ市法史》全2巻(1838-39)を書いた。また19世紀最大の立法事業の一つとされ,後世にも影響の大きいチューリヒ私法典の起草に当たる。他方チューリヒ上院議員を務めたが,ついに志を得ず,ミュンヘン大学に転じた。ここで代表作《一般国法学》全2巻(1851-52)を書く。国家は君主中心の有機的統一体であるとするこの本は,加藤弘之によって部分訳刊され(《国法汎論》1876),明治時代の官界学界に迎えられた。57-70年にはK.ブラーターとともに《ドイツ国家大辞典》全11巻を編纂した。61年にハイデルベルク大学に招かれ,主に国際法を研究し,国際的に有名な《近代国際法》(1868)を書いた。また,自由主義的国会議員としても活躍した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルンチュリ」の意味・わかりやすい解説

ブルンチュリ
Bluntschli, Johann Kaspar

[生]1808.3.7. チューリヒ
[没]1881.10.21. カールスルーエ
法学者,政治家。 1833年チューリヒ大学教授,38年チューリヒ議会議員。スイスの宗教動乱でドイツに逃れ,ミュンヘン大学,ハイデルベルク各大学の教授を歴任。私法,国家学,国際法の各分野に活躍した。主著『一般国家法学』 Allgemeines Staatsrechts (1851~52) 。国際法学会創立者の一人。

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百科事典マイペディア 「ブルンチュリ」の意味・わかりやすい解説

ブルンチュリ

ドイツの公法学者。スイス出身。ハイデルベルク大学教授。国家有機体説を提唱。自由主義者だったが,彼の説は加藤弘之らによって明治政府の理論的支柱として援用された。主著《一般国法学》。

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