国家を一種の有機体とみる国家学説。国家ないし社会を生物有機体との類推において説明することはすでにプラトンの国家論に現れており、その後、中世カトリックの秩序観やホッブズの政治学説にもみられる。しかしそれを体系的国家学説として主張したのは、フランス革命後の反動期に現れたドイツの政治的ロマン主義が初めてであった。それは、フランス革命によって成立した近代民主制国家の原理たる啓蒙(けいもう)主義的な自然法思想の原子論的・機械論的な国家論に対抗して、中世の封建的身分秩序原理を理念化した国家有機体説を主張した。それによると、国家は部分が先にあってそれから組み立てられたメカニズム(機械)ではなく、神から与えられた内在的目的をもったオルガニズム(有機体)であるとされた。そして中世の身分秩序が人体の機能の差異によって説明され、不平等な人間関係が有機体説によって正当化された。
19世紀中葉においてドイツで市民革命が切迫し、そして1848年にそれが失敗したのち、自然法思想から導き出された人民主権論に対抗して国家有機体説が保守主義勢力によって支持された。それは、当時飛躍的発展を遂げつつあった自然科学の権威を借りて国家を生物有機体との類推で説明し、君主主権を正当化した。その際、国家を生物有機体とみて生物学の知識をもって説明する「生物有機体説」や、さらにそのうえに人間の心理学の知識を付け加えて説明する「心理学的有機体説」などの多様な国家有機体説が展開された。前者の代表者がフランツ(1817―91)であり、後者の代表者がブルンチュリ(1810―82)であった。同時期にイギリスでは、社会を有機体との類推で説明するスペンサーの社会有機体説も現れ、その権威を援用して、ドイツでは国家有機体説はビスマルク体制を弁護するイデオロギーとして大きな影響力をもった。
すべての保守主義政治思想の核心に普遍的にみられる国家有機体説は、部分より先に有機体という全体があって、部分はこの全体に奉仕するものとして位置づける理論構成をとっており、団体主義の国家論の一種である。
わが国では明治初期にブルンチュリの国家有機体説が加藤弘之(ひろゆき)訳『国法汎論(はんろん)』(1872)によって紹介され、それは明治国家の保守主義国家論の基礎となった。
[安 世舟]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新