日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレッカー」の意味・わかりやすい解説
ブレッカー
ぶれっかー
Michael Brecker
(1949―2007)
アメリカのジャズ・サックス奏者。フィラデルフィアに生まれる。兄ランディ・ブレッカーRandy Brecker(1945― )はジャズ・トランペット奏者。音楽好きの家庭に生まれ、幼児期から家族で夕食後にジャズを演奏して楽しむという環境に育った。はじめドラムを演奏したがクラリネットを経て後にサックスに変わる。アルト・サックスを吹いていたころのアイドルはキャノンボール・アダレイ、チャーリー・パーカーで、テナー・サックスに転向してからはジョン・コルトレーン、ジョージ・コールマンGeorge Coleman(1935― )、ジョー・ヘンダーソンJoe Henderson(1937―2001)の演奏に親しむ。少年期はクリーム、ジミ・ヘンドリックスといったロック・ミュージックも熱心に聞いたが、セミプロ級のジャズ・ピアノ奏者であった父親はこれを快く思わなかったという。15歳のとき、すでにトランペッターとして活動していたランディと地元でリズム・アンド・ブルース・バンドを組む。1968年インディアナ大学に入学、当初薬学を専攻、次いで2年次からは芸術学科に転向し絵を描くが、19歳でランディのいるニューヨークに赴(おもむ)きプロ・ミュージシャンになることを決意した。
1969年ランディの初リーダー作『スコア』で正式にレコーディング・デビュー。同年から1971年にかけ、ビブラホーン奏者マイク・マイニエリMike Mainieri(1938― )が率いるセッション・グループのアルバム『ホワイト・エレファント』に参加。1970年から1971年にかけジャズ・ロック・グループ、ドリームズに加わる。1972年ピアノ奏者ホレス・シルバーにみいだされ、ランディとともにシルバーのアルバムにサイドマンとして参加。
1974年ランディとブレッカー・ブラザーズを結成、翌1975年アルバム『ブレッカー・ブラザーズ』を録音、1978年アルバム『へヴィー・メタル・ビバップ』で1970年代フュージョン・グループのなかで突出した地位を獲得した。
1980年代に入りブレッカーはギター奏者パット・メセニーのアルバム『80/81』(1980)に参加、サックス奏者として新たな境地を迎える。1980年(昭和55)、日本のレコード会社の肝いりでつくられたグループ、ステップスに参加、日本でのライブ・アルバム『スモーキン・イン・ザ・ピット』が話題をよぶ。1982年ステップスはステップス・アヘッドと名前を変えてアメリカ・デビュー、ブレッカーは1986年まで参加。1987年、実力のわりには遅すぎた初リーダー作『マイケル・ブレッカー』を出す。ブレッカーのテナー・サックス奏法はコルトレーンの影響を大きく受けていたが、コルトレーンの「精神性」を意識的に捨象し、純粋なテナー・テクニックとして再咀嚼(そしゃく)している。1970年代はフュージョン・テナーの第一人者として人気を誇り、膨大な数のアルバムにサイドマンとして名を連ねたが、1990年代以降はジャズのメイン・ストリームに近い位置で活躍した。現代のテナー・サックス奏者に彼の与えた技術的影響は計り知れないほど大きい。
[後藤雅洋]