パーカー(読み)ぱーかー(英語表記)Dorothy Parker

デジタル大辞泉 「パーカー」の意味・読み・例文・類語

パーカー(Charlie Parker)

[1920~1955]米国のアルトサックス奏者。ビーバップスタイルを創始し、モダンジャズの発展に大きな影響を与えた。

パーカー(parka)

パーカ1

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「パーカー」の意味・読み・例文・類語

パーカー

  1. ( Charlie Parker チャーリー━ ) アメリカ合衆国のジャズ・アルトサックス奏者。一九四〇年代、トランペットのガレスピーらと共にビーバップスタイルを創始し、モダンジャズの発展に大きな影響を与えた。(一九二〇‐五五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー

米国のジャズ・アルト・サックス奏者,作曲家。1940年代のジャズ界で起こったスイングからバップへの移行をリードした中心人物。1939年,ジェイ・マクシャン楽団に参加し,ここで最初のレコードを吹き込んだ。後にニューヨークに移り,D.ガレスピー,T.モンクといったジャズ・ミュージシャンらと共演。1945年に発表した《コ・コKo-Ko》によってバップのスタイルを確立した。速く複雑な即興演奏に特徴があり,モダン・ジャズへの道を拓き,後の多くのジャズ・ミュージシャンを触発した。麻薬の常用により著しく健康を害し,1955年ニューヨークにて他界。
→関連項目ジャズデービスボーンミンガス

パーカー

アメリカの女優。オハイオ州出身。エレノア・パーカーとも表記。1940年代から1950年代にハリウッドの美人女優として知られた。演技力にもすぐれ,ウイリアム・ワイラー監督作品《探偵物語》(1951年)などの作品で3度アカデミー賞にノミネートされたが,受賞を逸した。ジョン・クロムウェル監督作品《女囚の掟》(1950年)ではベネツィア国際映画祭女優賞を受賞している。1960年代からはTVドラマでも活躍した。

パーカー

米国のユダヤ系女性詩人,作家。《ニューヨーカー》をはじめ多くの雑誌に批評を寄稿しつつ,詩集《井戸ほど深くなく》,短編集《ここに横たわる》などの軽妙で風刺的な作品を書いた。映画のシナリオもある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー
Charlie Parker
生没年:1920-55

ビバップ創始者の一人に数えられる,アメリカの黒人ジャズ・アルト・サックス奏者。本名Charles Christopher Parker Jr.。愛称の〈バードBird〉でも親しまれている。カンザス州カンザス・シティに生まれ,同地のジェイ・マクシャン楽団のメンバーとしてニューヨークにデビュー。1941年ハーレムのクラブに出入りしてジャム・セッションに参加。ガレスピーとともに43年アール・ハインズ,44年ビリー・エクスタイン楽団を経て独立。45年マイルス・デービスをメンバーに入れた五重奏団をつくり,天才的な吹奏と新鮮なアイディアで注目を集めた。46年ロサンゼルスで麻薬,酒に溺れ発狂,半年後に再起して病魔と闘いながら歴史に残る演奏を残した。55年3月知人宅で急死。検屍医はチャーリー・パーカーの34歳の死体を,50歳と鑑定したほど疲れきっていた。アームストロングに続く史上2番目の天才プレイヤーとして,モダン・ジャズ全体にはかり知れぬ影響を与え続けている。代表作として《パーカー・オン・サボイ》(サボイ),《パーカー・オン・ダイヤル》(ダイヤル),《パーカー・ウィズ・ストリングス》(バーブ)などがあげられる。
執筆者:


パーカー
Matthew Parker
生没年:1504-75

英国国教会の聖職者,カンタベリー大主教。ケンブリッジに学び,エドワード6世時代には宗教改革の促進に協力したが,メアリー1世登位(1553)後,妻帯を理由に職務を剝奪された。1558年登位したエリザベス1世によってカンタベリー大主教に選ばれ,女王の意を体して,カトリック教徒と急進的なピューリタンを排した中道政策を推進し,国王至上法礼拝統一法を骨幹としたエリザベスの教会・国家体制の維持に努めた。
執筆者:


パーカー
Theodore Parker
生没年:1810-60

アメリカのユニテリアン派の牧師,神学者。ハーバード大学で学びユニテリアン派の牧師となったが(1837),D.F.シュトラウスなどドイツの聖書批評学の影響を受けて奇跡などの超自然的教理をすべて拒否し,ユニテリアン派の保守派と分離して過激派の指導者となった(1845)。エマソンらと同じくヒンドゥー教や仏教にも関心を持ったが,社会悪とくに奴隷制度に対する激しい反対運動を行い,その廃止を訴え続けた。フィレンツェで没。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー
Parker, Alan

[生]1944.2.14. ロンドン
[没]2020.7.31. ロンドン
イギリスの映画監督,脚本家,プロデューサー。幅広いジャンルの作品を手がけ,代表作に『ミッドナイト・エクスプレス』(1978),『フェーム』(1980)などがある。広告コピーライター,テレビコマーシャルディレクターとして働いたのち,アラン・マーシャルと制作会社を設立し,テレビ短編映画を制作。1976年には初の長編映画『ダウンタウン物語』を脚本・監督。次作『ミッドナイト・エクスプレス』は,麻薬所持によりトルコで逮捕されたアメリカ人観光客を描いたスリラーで,高い評価を得てアカデミー賞にノミネートされた。その後も,ニューヨークの舞台芸術高校に通う生徒を主人公にした大ヒット作『フェーム』,ロックバンドのアルバムをモチーフにしたミュージカル『ピンク・フロイド ザ・ウォール』(1982),1964年に公民権運動家 3人が殺害された事件を描いた『ミシシッピー・バーニング』(1988)など多彩な作品を世に送った。『ミシシッピー・バーニング』では 2度目のアカデミー賞にノミネートされた。このほか『ザ・コミットメンツ』(1991),『エビータ』(1996),『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』(2003)などを監督した。1995年大英帝国三等勲功章 CBE,2002年ナイト爵位をそれぞれ授与された。

パーカー
Parker, Theodore

[生]1810.8.24. アメリカ合衆国,マサチューセッツレキシントン
[没]1860.5.10. イタリア,フィレンツェ
アメリカ合衆国のユニテリアン派牧師,説教家,神学者,社会改良家。エブラハム・リンカーンの「人民の,人民による,人民のための政治」という句は,パーカーが著作や講演で述べたことばが元になったとされる。20ヵ国語に通じ,聖書に関するドイツ語文献を翻訳し,高等批評に関心を示した(→聖書文献批判)。またアメリカの歴史的使命を確信し,そのため知的,道徳的,宗教的教育振興の必要を唱え,禁酒,監獄改善,婦人教育,奴隷制廃止などの社会問題に尽力し,政治にも影響を及ぼした。主著『宗教の諸問題』A Discourse of Matters Pertaining to Religion(1842),『Th.パーカー著作集』Theodore Parker's Works(14巻,1863~70)。

パーカー
Parker, Francis (Wayland)

[生]1837.10.9. ニューハンプシャー,ベドフォード
[没]1902.3.2. シカゴ
アメリカの進歩主義的初等教育の創設者,シカゴで最初の父母と教師の会の組織者。 1853年 16歳で教師となり,5年後にイリノイ州キャロルトンで校長となった。南北戦争が起ると連邦軍に加わり,陸軍中佐に昇進した。 72年ドイツに渡り,J.ペスタロッチ,J.ヘルバルト,F.フレーベルらによって開発された新しい教育方法を学んだ。 75年帰国,マサチューセッツ州クインジーの教育長に就任,自然科学,図画,工作を学科課程に導入して子供の自己表現や社会的行動,個性を尊重する人間的で自由な授業を奨励した。 80年ボストンの学校制度の責任者,83年シカゴのクック・カウンティ師範学校の校長に就任,同校はアメリカ教育の自由化に影響を与えたことで有名になった。 99年寄付を得て師範学校 (シカゴ・インスティテュート) を設立。これは2年後パーカーがシカゴ大学教育学部の初代学部長になるとともに同大学の付属施設となった。またシカゴには,彼の名を冠した進歩主義の学校 (私立) がある。

パーカー
Parker, Matthew

[生]1504.8.6. ノリッジ
[没]1575.5.17. ランベス
イギリスの神学者,カンタベリー大主教。ケンブリッジ大学に学び,1545年および 49年同大学副総長となった。 59年エリザベス1世の即位とともにカンタベリー大主教に登用され,以後カトリック教会,プロテスタント諸教会から独立,それらの中道を行くアングリカン・チャーチの基礎を定めた。『三十九信仰個条』 Thirty Nine Articlesの起草,ビショップ聖書を企画,完成。主著『イギリスの古代教会』 De antiquitate Britannicae ecclesiae (1572) 。

パーカー
Parker, Charlie

[生]1920.8.29. カンザス,カンザスシティー
[没]1955.3.12. ニューヨーク
アメリカのサクソフォーン奏者。愛称 Bird。アメリカのジャズ界最高のアルト・サックス奏者で,即興演奏家として知られた。 1937年ジェイ・マクシャン楽団に参加し,いくつかの楽団を転々としたのち,44年コンボを結成して,D.ガレスピー,T.モンクとともに当時の新しいジャズ,バップの中心人物となった。 46年麻薬中毒のため入院したが奇跡的なカムバックをとげ,47年に M.ローチ,M.デービスらと五重奏団を結成,ジャズ界の花形奏者として活躍した。

パーカー
Parker, Sir Horatio Gilbert

[生]1862.11.23. オンタリオ,カムデンイースト
[没]1932.9.6. ロンドン
カナダ生まれのイギリスの小説家。オーストラリアや南海を探検したのち,27歳でイギリスに定住,多くの冒険小説を書いた。のち政界に入り,1916年枢密顧問官になった。 17世紀のケベック征服を扱った代表作『巨人の座』 The Seats of the Mighty (1896) のほか,ナポレオン戦争中のチャネル諸島を背景にした『強者の戦い』 The Battle of the Strong (1898) など。

パーカー
Parker, Louis Napoleon

[生]1852.10.21. カルバドス
[没]1944.9.21.
イギリスの劇作家,作曲家。初め音楽家としてドーセットシャーで教鞭をとったが,1892年から劇作に専念,100以上の創作劇や翻案劇を執筆。代表作は『ディズレーリ』 Disraeli (1911) 。ほかに『ドルアリー・レーンのページェント』 The Pageant of Drury Lane (08) ,回想記『わが生涯の数章』 Several of My Lives (28) がある。

パーカー
Parker, Dorothy

[生]1893.8.22. ニュージャージー,ウェストエンド
[没]1967.6.7. ニューヨーク
アメリカの女流詩人,小説家。雑誌『ニューヨーカー』その他の劇評を担当,辛辣な批評で知られた。風刺や機知に富み,簡潔な文体で人情の機微をうがつ佳作を残した。主著,詩集『勝手気まま』 Enough Rope (1926) ,短編集『生者への哀歌』 Laments for the Living (30) 。

パーカー
Parker, Alton Brooks

[生]1852.5.14. ニューヨーク,コートランド
[没]1926.5.10. ニューヨーク
アメリカの法律家。ニューヨーク州控訴院判事,同州控訴院首席判事 (1897) を経て,1904年民主党から大統領候補に選ばれたが,T.ルーズベルトに大敗を喫し,法曹界に戻った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー(Charlie Parker)
ぱーかー
Charlie Parker
(1920―1955)

アメリカのジャズ・アルトサックス奏者、作曲家。カンザス州生まれ。プロ入りは15歳。ジェイ・マクシャン楽団を経て1941年ニューヨークに行き、デイジー・ガレスピーらとビ・バップを創造、それを代表する人物として注目の的となった。45年からマイルス・デービスを含む自身のグループで活躍し名声を高める。しかし麻薬禍と病魔から脱することができず、その死を早めた。すべてのモダン・ジャズ奏者に影響を与えた神様的存在で、あだ名はバード(鳥)。主要作品は『ナウズ・ザ・タイム』『ビリーズ・バウンス』など。

[青木 啓]


パーカー(Dorothy Parker)
ぱーかー
Dorothy Parker
(1893―1967)

アメリカのユダヤ系女流詩人、短編小説家。ニュー・ジャージー州生まれ。風刺的な詩集『十分な綱』(1926)で認められ、『ニューヨーカー』誌に書評を書きつつ、都会的で軽妙な詩や短編小説を発表した。作品は『詩集』(1944)、短編集『ここに横たわる』(1939)などに収録。ほかに戯曲、映画の台本もある。

[武藤脩二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

事典 日本の大学ブランド商品 「パーカー」の解説

パーカー

[服装]
明治学院大学(東京都港区)の大学ブランド。
明治学院大学公認ボランティアファンド支援グッズのパーカー。胸に「MEIJI GAKUIN UNIVERSITY」の文字が入っている。色はグレー。価格は、3600円(税込)。株式会社明治学院サービス取り扱い。
(注)記載内容は事典編集当時(2010年2月)のものです。内容・価格等はその後に変更になった場合もあります。

パーカー

[服装]
慶應義塾大学(東京都港区)の大学ブランド。
慶應義塾公式グッズのパーカー。色は、ネイビー。胸部に大きく白抜きで「KEIO」の文字が入っている。価格は、6000円(税込)。慶應義塾取り扱い。
(注)記載内容は事典編集当時(2010年2月)のものです。内容・価格等はその後に変更になった場合もあります。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の大学ブランド商品」事典 日本の大学ブランド商品について 情報

367日誕生日大事典 「パーカー」の解説

パーカー

生年月日:1837年10月9日
アメリカの教育家,進歩主義教育運動の創始者
1902年没

パーカー

生年月日:1862年11月23日
イギリス系カナダの冒険小説家
1932年没

パーカー

生年月日:1781年12月1日
イギリスの軍人
1866年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のパーカーの言及

【ジャズ】より

…論理的な発展という論が大勢を占めたのは,50年代に入ってからである。バップは一人の創意から生まれたものではなく,多くのプレーヤーの創意の合成であったが,ずぬけて巨大な存在であったのはチャーリー・パーカーである。20年代のアームストロングがそうであったように,バップを志すすべてのミュージシャンがパーカーを手本とした。…

【トランセンデンタリズム】より

…超越主義,超絶主義と訳す。エマソンの《自然》(1836)出版後,彼の周囲に集まったユニテリアン派の牧師たち(ヘッジFrederic H.Hedge,T.パーカー,リプリーGeorge Ripley,W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryなどがその代表者である。彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。…

※「パーカー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android