プロレタリア文化大革命

山川 世界史小辞典 改訂新版 「プロレタリア文化大革命」の解説

プロレタリア文化大革命(プロレタリアぶんかだいかくめい)

1966年から76年までに中国で展開された政治権力闘争。文革はその略称大躍進運動の挫折後に,劉少奇(りゅうしょうき)らの実務型指導者は主導権を持ち,政策の調整を断行したが,毛沢東はそれを「修正主義」「資本主義の復活」と受けとめ,66年5月に文化大革命を発動し,実権派から政治権力を奪い,政治の流れを社会主義の道へ取り戻そうとした。69年の9全大会までは文革の第1段階で,毛沢東は江青(こうせい)夫人らの左派グループと林彪(りんぴょう)らの軍人グループを支持基盤とし,大衆を動員して中央と地方の実権派を失脚させた。9全大会から71年までは文革の第2段階で,毛沢東は林彪グループの台頭と権力への野心に対し,警戒心を強め,牽制反撃に出た。林彪は71年9月に毛沢東の暗殺を試みたが,失敗した。林彪はソ連への亡命途中に飛行機の墜落で命を落とし,側近たちが粛清された。その後,76年9月までが文革の第3段階で,毛沢東は林彪事件後,古参指導者の部分的な復活を認めた。しかし,政治路線や権力の主導権をめぐって,古参指導者と「四人組」との政治対立が繰り広げられた。76年9月,毛沢東が死去。党中央副主席の華国鋒(かこくほう)葉剣英らの軍指導者は協力し,「四人組」を逮捕し,文革を終結させた。80年,党中央は歴史決議を採択し,長期にわたって中国社会に混乱をもたらし,国家建設を挫折させ,人民損害を与えたものとして,文革路線を徹底的に否定する方針を打ち出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プロレタリア文化大革命」の意味・わかりやすい解説

プロレタリア文化大革命
ぷろれたりあぶんかだいかくめい

文化大革命

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プロレタリア文化大革命」の意味・わかりやすい解説

プロレタリア文化大革命
プロレタリアぶんかだいかくめい

文化大革命」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のプロレタリア文化大革命の言及

【文化大革命】より

…この背景には,毛沢東の過渡期階級闘争理論があった。新中国成立後,毛沢東は,みずからの指導する社会主義社会を,階級闘争の終始存在する過渡期社会ととらえる理論に傾斜していったが,60年代中期にいたって,党は〈資本主義の道を歩む実権派〉によって修正主義に変質させられる前夜にあるとの認識に達し,これら〈走資派〉を一掃し,修正主義化を防止する目的をもって,プロレタリア文化大革命(文革)を発動した。
[第1期]
 1965年11月,毛沢東の直接指導下に,姚文元(ようぶんげん)の論文〈《海瑞罷官(かいずいひかん)》を評す〉が発表されたことで,実権派批判が始まり,文革の火がつけられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」