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楼蘭 ろうらんLou-lan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

楼蘭
ろうらん
Lou-lan

中国,シンチヤン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区ロプノール地方にあった都市国家。原名クロライナ Krorainaといい,前2世紀頃人に知られて以来,楼蘭と漢訳された。東西交通の要衝であり,西域地方有数の市場町で,ロプノール(羅布泊)湖一帯にわたる一独立王国を築いていた。しかし前2世紀末より,市場の支配を目指して漢人と匈奴の争奪戦が展開され,前77年の属国となり,国名も鄯善と改称された。漢の支配以来,近隣のオアシス諸国を統合して一大勢力を形成したが,ロプノール地方の乾燥化に伴い,しだいに無人の地となり,7世紀以降は廃虚と化した。20世紀の初め,スウェン・アンデルス・ヘディン,マーク・オーレル・スタインらによってその遺跡が発見された。(→楼蘭遺跡

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デジタル大辞泉の解説

ろうらん【楼蘭】

中国、時代の西域諸国の一。また、その中心となったオアシス都市タリム盆地東部、ロブノール西北岸にあり、シルクロードの要衝として繁栄。前77年、漢の属国とされ、鄯善(ぜんぜん)と改称。ロブノールの移動によって衰退、7世紀には廃墟と化した。20世紀に入って遺跡が発見された。

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百科事典マイペディアの解説

楼蘭【ろうらん】

中国,漢・魏時代ロブ・ノール北岸にあったオアシス都市国家。原名はクロライナ。東西交通の要地で,前77年漢に占領され国号【ぜん】善(ぜんぜん)に改められた。ヘディンが1899年―1902年の探検旅行中に発見,その後A.スタイン,大谷探検隊(大谷光瑞)が調査,寺院群の跡,ガンダーラ式の仏像や仏画,多数の文書などが発見されている。
→関連項目クルレタクラマカン砂漠橘瑞超タリム盆地ミーラーン

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世界大百科事典 第2版の解説

ろうらん【楼蘭 Lóu lán】

中国,漢代の西域のオアシス都市国家。原名はクロライナKroraina。その都城址は,新疆ウイグル(維吾爾)自治区ロプ・ノール(羅布泊)の北西にある。楼蘭の名は,前176年(文帝の4年),匈奴(きようど)から漢に送られた書簡の中にはじめて登場するが,以後も,匈奴・漢両国の支配下に置かれることが多く,前77年(元鳳4)には漢によって国王が殺害され,国号も楼蘭から鄯善へと改められた。前1世紀の鄯善,すなわち楼蘭(クロライナ)の戸数は,1570戸,人口は1万4100と伝えられ,当時の西域のオアシス諸都市の中では中程度の規模であった。

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大辞林 第三版の解説

ろうらん【楼蘭】

中国、漢魏時代の西域のオアシス都市国家。タリム盆地のロブノールの西岸に遺跡がある。シルク-ロードの要衝として繁栄。紀元前77年漢が征服して国号を鄯善ぜんぜんとした。1900年ヘディンにより遺跡が発見された。クロライナ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

楼蘭
ろうらん

中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区、タリム盆地東端の古代遺跡。『漢書(かんじょ)』西域(せいいき)伝にみえる(ぜんぜん)国の旧名。タリム川の末端であるロプノールの西北岸にある。敦煌(とんこう)から西方に向かうと、まず到達するのがこのオアシスであり、古来、シルク・ロードの要衝として繁栄した。紀元前176年ころ匈奴(きょうど)の支配下に入ったが、前漢が西域への進出を図るとともに、漢と匈奴の抗争の地となり、前108年、漢の趙破奴(ちょうはど)は匈奴を駆逐して征服し、楼蘭王を捕らえたので、以後楼蘭は漢と匈奴に両属した。その後も楼蘭はしばしば漢使を迫害したので、前77年、漢は傅介子(ふかいし)を送って王を殺し、王弟の尉屠耆(いとき)を王とし、国名を善と改めた。以後この国は漢史には善国の名で現れ、後漢(ごかん)時代に入っても班超(はんちょう)に服属した。2世紀末か3世紀初め、この国は西方から到来したクシャン朝の移民団に征服され、公文書にカローシュティー文書(もんじょ)(ガンダリー語)を使用する統一国家となった。その領域は東はロプノール周辺から西はニヤ遺跡まで、東西900キロメートルに及ぶ大国であった。この文書によると、この時代に楼蘭はペーピヤ、タジャカ、アムゴーカ、マヒリ、バスマナという5人の王が君臨していた。この国は大王の下に複雑な官僚機構をもち、チャルマダナ、サチャ、チャドータなどのオアシスを支配し、各オアシスにはチョジボー(地方長官)やソータムガ(徴税官)が任命され、駅伝制が置かれていた。ニヤのようなオアシスはラーヤ(王領)とよばれ、そこには町(ナガラ)と村(アバナ)があり、税としてバター、ヒツジ、穀物、ぶどう酒、フェルト、カーペットなどが徴収された。宗教としては仏教が盛んで、各オアシスに僧団が置かれ、それぞれ首都クロライナ(楼蘭)の僧団に統率されていた。僧侶(そうりょ)は官職につき、妻帯を許され、土地・奴隷を有して豊かな生活を送っていた。クロライナ南方のミーラン出土の壁画は、この国の文化がきわめて西方色豊かであったことを示している。
 楼蘭西端のニヤは4世紀に滅んだらしいが、楼蘭王国は4~5世紀、中国の中原(ちゅうげん)王朝と冊封(さくほう)体制を結び繁栄した。しかし439年、北魏(ほくぎ)が涼州にあった北涼を滅ぼしたため、442年その残党が楼蘭を攻め、その3年後には北魏の万度帰の軍が楼蘭を占領した。その結果、448年には北魏の交趾(こうし)公韓牧(かんぼく)が新しい王として赴任した。この地方はオアシスとしては、この後もしばらく命脈を保つが、7世紀以降は廃墟と化した。[長澤和俊]
『長澤和俊著『楼蘭王国』(1976・第三文明社) ▽ヘルマン著、松田寿男訳『楼蘭』(平凡社・東洋文庫)』

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