浄土真宗本願寺派の僧侶。中央アジア探検で知られる。名古屋に生まれ,幼名は曜弘。1908年,大谷探検隊の第2次中央アジア探検に野村栄三郎とともに派遣された。ウランバートル,トゥルファン(吐魯番)を経てカラホージョ近辺の遺跡を訪ねたあと,単独で楼蘭(ろうらん)遺跡を探検。さらにカラコルム峠からカシミールに入った。そしてロンドンに渡り,A.スタインに会う。10年,ストックホルムでS.ヘディンの知遇を得てのち,タルバガタイを経由して,トゥルファンの調査に従った。翌11年,タクラマカン砂漠をタリム河川に沿って横断,カシュガルに到達。さらにホータン(和田)を経てチベット高原に入った。このころ橘の消息はとだえ行方不明が伝えられたが,第3次大谷探検隊として派遣された吉川小一郎と敦煌(とんこう)で邂逅(かいこう)した(1912)。帰国に際して多くの仏典,古写経,古文書を将来した。著書には《中亜探検》(1912)があり,当時の敦煌をはじめとした西域の状況を知るうえで,吉川小一郎の《支那紀行》とともに貴重である。
執筆者:滝沢 由美子
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明治〜昭和期の探検家,僧侶(浄土真宗本願寺派)
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…西本願寺の法主大谷光瑞が主宰した日本唯一の中央アジア探検隊。第1次は1902‐04年,大谷光瑞,本多恵隆,井上弘円,渡辺哲信,堀賢雄,第2次は08‐09年,野村栄三郎,橘瑞超,第3次は10‐14年,橘瑞超,吉川小一郎によって行われ,仏教東漸の遺跡として,ホータン,クチャ,敦煌など中央アジア各地を調査した。その収集品は旅順,ソウル,東京の各博物館に,敦煌写経をはじめ古文書類は竜谷大学図書館に分蔵されている。…
※「橘瑞超」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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