改訂新版 世界大百科事典 「ベルラーヘ」の意味・わかりやすい解説
ベルラーヘ
Hendrik Petrus Berlage
生没年:1856-1934
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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オランダの建築家。アムステルダムに生まれ、ハーグに没。1875~78年チューリヒで建築を学ぶ。ドイツ、オーストリア、イタリア各地を旅行後、82年アムステルダムに定住。同地に株式取引所(1898~1903)を建設し、歴史主義を打破する即物的な構造によって近代建築の開拓者として注目を浴びた。主作品にロンドンのオランダ館(1914~16)、アムステルダム市南部の都市計画(1915)、ハーグ市立美術館(1931~35)がある。これらの実作および理論的著作『建築様式考』(1905)、『建築の原理と展開』(1908)その他によってデ・ステイルの運動に大きな影響を与えた。
[野村太郎]
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…絵画においては19世紀末にゴッホ,20世紀にバン・ドンゲンVan Dongenがフランスで,モンドリアンがアメリカで活躍した。 建築では,17世紀にファン・カンペンがアムステルダム市庁舎,ハーグのマウリッツハイスを残し,19世紀後半のカイペルスはネオ・ゴシック様式のアムステルダム国立美術館,アムステルダム中央駅を建て,20世紀になってベルラーヘはアムステルダムの株式取引所の設計で合理的な近代性を追求した。戦間期の〈デ・ステイル〉グループは画家のモンドリアン,ファン・ドゥースブルフも加え,アウト,リートフェルトらが幾何学的形態と明確な空間の創造を唱え,国際的反響を呼んだ。…
…世紀の転換期の画家としては象徴派のトーロップ,街景と都会風俗を描いたブレイトネルがいる。19世紀の建築は復古様式の時代が長く続いた(カイペルスによるネオ・ルネサンス様式のアムステルダム国立美術館等)が,ベルラーヘのアムステルダム株式取引所(1903)によって近代建築の基礎が築かれた。明快な合理性に支配されたこの建築はゼイルLambertus Zijl(1866‐1947)の彫刻によっても名高い。…
※「ベルラーヘ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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