日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルリン封鎖」の意味・わかりやすい解説
ベルリン封鎖
べるりんふうさ
Berlin Blockade
東西間の緊張激化の過程で、1948年6月24日から49年5月12日まで、旧西ドイツ(当時米英仏占領地区)と、旧東ドイツ(当時ソ連占領地区)領内にあった西ベルリン間の交通について、当時のソ連当局が実施した交通封鎖措置。そのきっかけをなしたのは、西ドイツ地域における通貨改革(1948.6.20実施)である。西側三国は通貨改革を西ベルリンにも拡大し、これに対抗してソ連は、48年6月24日、その占領地区内で独自の通貨改革を実施するとともに、西ドイツと西ベルリン間の陸上による交通・輸送を全面的に封鎖した。この封鎖の結果、西ベルリンは完全に陸の孤島と化し、残された交通手段としては空路のみとなった。西側三国は、ただちに西ベルリンへの物資供給のため大規模な空輸(「空の架橋」)を開始し、その延べ飛行回数は27万7728回、空輸された物資は総量211万0235トンに達したといわれる。他方において西側三国は、「逆封鎖」、すなわち西ベルリンと東ドイツ間および東ドイツと西ドイツ間の通商・交通の制限でもってこたえた。危機を打開するため48年7月末からモスクワで始まった西側三国とソ連間の交渉も容易には進展せず、9月以降、問題解決の舞台は国連へ移された。ここでも交渉は難航したが、49年2月米ソ代表(米側ジェサップPhilip C. Jessup、ソ連側マリクJakov A. Malik)の会談で、ソ連側が、もし西側三国が逆封鎖を解除し、外相会議を新たに開くことに同意するならば封鎖を解除する用意があることを表明したため、5月4日、ベルリン封鎖解除に関する米英ソ仏四国協定が成立し、ここに、ベルリン封鎖問題は約11か月ぶりに解決した。
[深谷満雄]