日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペシネー」の意味・わかりやすい解説
ペシネー
ぺしねー
Pechiney
フランスの非鉄金属メーカー。1971年、特殊鋼のトップ・メーカーであるユジーヌ・クールマンUgine Kuhlmann社と、世界的なアルミニウム、非鉄メーカーであるペシネー社が合併してペシネー・ユジーヌ・クールマン社が発足した。1982年ミッテラン政権下で国有化、アルミ事業を中心に改組され、社名をペシネーに変更した。アルミニウム業界の世界的再編動向のなかで、ペシネーはカナダのアルキャンAlcan Inc.に買収され(2003年)、さらにアルキャンがイギリス・オーストラリア系資源大手のリオ・ティントRio Tinto・グループに買収(2007年)された。
前身のユジーヌ・クールマン社は、1886年以来ソーダ、炭酸カリの製造を行ってきたユジーヌ社と、1825年に創立され硫酸製造に従事してきたクールマン社とが1968年に合併してできた会社である。他方、ペシネー社は、1855年アンリ・メルルHenri Merle(1825―1877)の創始したソーダ、カリ、塩素などを生産する工場に起源をもつ。ペシネーAlfred Rangod Pechiney(1833―1916)が経営を引き継ぎ、19世紀末には電解法によるアルミ生産に乗り出し、20世紀に入ると、アルミ関連工場の吸収合併を積極的に行って、業界でトップの地位を得た。第二次世界大戦後に石油化学部門に進出、ペシネー・ユジーヌ・クールマン発足後はアルミを中心に研磨、耐熱製品、セラミック、核燃料部門まで手がけた。
1988年、アメリカの飲料用アルミ缶のトップメーカー、アメリカン・ナショナル・キャンAmerican National Canを買収。以降、非中核事業から撤退し、アルミニウムおよび包装部門に集約化した。1990年代以降は民営化の流れを受けて、1995年から政府所有株式の売却が開始されたが、アルミニウムの価格低迷などによる大幅な赤字を計上したため投資家の関心は低く、1998年に至ってようやく完全民営化された。その後、世界的な再編が加速化するなかで、2002年イギリス・オランダ系の製鉄大手コーラス・グループ(現、タタ鉄鋼)のアルミ事業を買収した。2002年の売上高は119億0900万ユーロ、従業員数は3万4000人。
2003年、アルミニウム製造世界2位のアルキャン(カナダ)に買収された。さらにアルキャンが2007年リオ・ティントに買収され、グループ内のアルミニウム事業部門と合体してリオ・ティント・アルキャンとなった。
[簗場保行]