百科事典マイペディア 「ホイットラム」の意味・わかりやすい解説
ホイットラム
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オーストラリアの政治家。メルボルン生れ。シドニー大学文学部および法学部卒業。1952年労働党連邦下院議員に,67年同党党首となり,平党員の発言力を強めて左右両派の分裂を防ぎ,社会各層の要求にアピールする政策を打ち出した。72年党首として3度目の総選挙で23年ぶりに労働党政権を樹立した。首相就任後ただちにベトナム撤退,徴兵制廃止,中国承認,フランスの南太平洋核実験の国際司法裁判所への提訴と,リベラルな面で実績をあげた。国内では鉱物資源ブームに支えられて,国民健康保険制度(メディバンク)や法律援助事務所の発足,年金・文化助成金・原住民福祉の増額,高等教育の無料化などの社会福祉面で成果をあげた。しかし石油危機でインフレを招き,75年11月11日,カー総督による罷免という前代未聞の事件(75年の憲法危機)で政権を追われた。
執筆者:越智 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…65年のベトナム派兵は国内に反戦運動を引き起こし,アメリカから入ってきたカウンターカルチャー(対抗文化)的雰囲気を助長することになった。
[ホイットラム政権の輝きと70年代]
前述のように60年代には東ヨーロッパ,中東からの移民,難民が増え,例えばメルボルンがアテネ,ニューヨークに次ぐ世界第3位のギリシア人人口を擁するなど,オーストラリアは多民族社会化して,古い体制を打破する荒ごなしが行われた。1967年には国民投票による憲法修正で,アボリジニーに公民権が与えられた。…
※「ホイットラム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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