ボガート(英語表記)Humphrey Bogart

デジタル大辞泉 「ボガート」の意味・読み・例文・類語

ボガート(Humphrey Bogart)

[1899~1957]米国映画俳優ハードボイルド映画活躍ボギー愛称で親しまれた。出演作「マルタの鷹」「カサブランカ」「アフリカ女王」「必死の逃亡者」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ボガート」の意味・読み・例文・類語

ボガート

  1. ( Humphrey Bogart ハンフリー━ ) アメリカの映画俳優。ニューヨークの生まれ。「マルタの鷹」でハードボイルド派の私立探偵を演じて好評を得る。「アフリカの女王」でアカデミー主演男優賞を受賞。主な出演作品に「カサブランカ」「ケイン号の叛乱」「俺たちは天使じゃない」など。(一八九九‐一九五七

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改訂新版 世界大百科事典 「ボガート」の意味・わかりやすい解説

ボガート
Humphrey Bogart
生没年:1899-1957

アメリカの映画俳優。〈ボギー〉の愛称で親しまれ,スクリーンの不滅の〈ハードボイルド・ヒーロー〉となっているスターである。ニューヨーク生れ。ブロードウェーとハリウッドの間をいったりきたりするが鳴かず飛ばずのまま長い下積み生活を送る。1935年,ロバート・E.シャーウッドの舞台劇《化石の森》でレスリー・ハワードと共演したのをチャンスに,ワーナー・ブラザースが映画化した《化石の森》(1936)にはハワードの口ききでエドワード・G.ロビンソンに代わってデューク・マンテーの役を演じ,スターへの道をつかみかけたものの,その後がつづかず,36年から40年までの5年間に30本近い映画でギャングもしくは悪役を演じ,ジョン・ヒューストン脚本,ラオール・ウォルシュ監督《ハイ・シエラ》(1941)でようやくスターとしての〈ボギー〉が生まれ,ヒューストンの第1回監督作品《マルタの鷹》(1941)の私立探偵サム・スペード役で〈ハードボイルド・ヒーロー〉のイメージが定着する。

 その後《カサブランカ》(1943),《脱出》(1945),《三つ数えろ》(1946)でさらに人気を高め,《脱出》で共演した新人女優ローレン・バコール(1924- )と結婚,不滅のロマンスをうたわれた。47年に独立プロ〈サンタナ・ピクチャーズ〉を設立し,当時新進気鋭の監督ニコラス・レイ(《暗黒への転落》1949),リチャード・ブルックス(《デッドライン--USA》1952)を育てる。ヒューストン監督と組んだ作品が多く,《黄金》《キー・ラーゴ》(ともに1948),そして《アフリカの女王》(1951)ではアカデミー主演男優賞を受賞。《殴られる男》(1956)を最後に食道癌で死亡したが,人気は死後も高まり,その出演作品はアメリカのみならずヨーロッパでも〈ボギー・フェスティバル〉の形でくりかえし上映されつづけている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボガート」の意味・わかりやすい解説

ボガート
ぼがーと
Humphrey Bogart
(1899―1957)

アメリカの俳優。ニューヨーク生まれ。ステージ・マネージャーから舞台に立ち、1930年から映画に出演したが、『化石の森』の映画化(1936)で舞台と同じギャング役で好評、『マルタの鷹(たか)』(1941)でハードボイルドの探偵役に転じ、1942年の『カサブランカ』以降第一線スターとなる。苦みばしった独得のマスクと声で人気を得、1945年には『脱出』(1944)で共演した女優ローレン・バコール(1924―2014)と結婚、1951年の『アフリカの女王』でアカデミー主演男優賞を受けた。死後も「ボギー」の愛称で、その人気はますます高い。代表作に『サハラ戦車隊』(1943)、『黄金』(1948)、『ケイン号の叛乱(はんらん)』(1953)、『裸足(はだし)の伯爵夫人』(1954)、『俺(おれ)たちは天使じゃない』『必死の逃亡者』(ともに1955)など。

[畑 暉男]

『N・ベンチリー著、石田善彦訳『ボギー』(1980・晶文社)』『L・バコール著、山田宏一訳『私一人』(1984・文芸春秋)』

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百科事典マイペディア 「ボガート」の意味・わかりやすい解説

ボガート

米国の映画俳優。愛称ボギー。ニューヨーク生れ。長い下積み生活ののち《化石の森》の映画化(1936年)で好評を得,D.ハメット原作,J.ヒューストン監督《マルタの鷹》(1941年)の私立探偵役でハードボイルド・ヒーローのイメージが定着した。I.バーグマンと共演した《カサブランカ》(1943年),H.ホークス監督〈脱出〉(1945年),同《三つ数えろ》(1946年)などでさらに人気を高め,《脱出》で共演したL.バコールと結婚,ヒューストン監督と組んだ《アフリカの女王》(1951年)でアカデミー主演男優賞。食道癌で死亡したが,人気は死後も高い。
→関連項目ウォルシュ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボガート」の意味・わかりやすい解説

ボガート
Bogart, Humphrey

[生]1899.12.25. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1957.1.14. カリフォルニア,ハリウッド
アメリカ合衆国の映画俳優。フルネーム Humphrey DeForest Bogart。ギャングや探偵など,タフで個性的な役を演じた。後年は喜劇などに出演し,幅の広い演技を示した。おもな出演作品『デッド・エンド』 (1937) ,『マルタの鷹』 (1941) ,『カサブランカ』 (1942) ,『アフリカの女王』 (1951,アカデミー賞主演男優賞) 。

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367日誕生日大事典 「ボガート」の解説

ボガート

生年月日:1870年3月16日
アメリカの経済史家
1958年没

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世界大百科事典(旧版)内のボガートの言及

【ブラウニー】より

…着物をやったり,あだ名で呼んだり,十字を切ったりすると消える。ピクシーPixy,ゴブリンと同種で,いたずらがすぎる者はボガートBoggart,まぬけたおどけ者はドビーDobbyとも言われる。【井村 君江】。…

【カサブランカ】より

…〈ハリウッド・メロドラマ〉の名作の1本であり,今日では映画史を超えて一種の神話的イメージを獲得したいわゆる〈カルトムービー〉の1本となっている。第2次世界大戦中,ドイツ軍に占領されたヨーロッパから逃れて渡米しようとする人々の渡航拠点になっていたフランス領モロッコのカサブランカで,〈リックス・カフェ・アメリカン〉という酒場を経営しながら,ファシスト,ドゴール派,亡命者らが入り乱れる中で独自の立場を貫くアメリカ人リックはハンフリー・ボガートの当り役の一つとなり,《マルタの鷹》(1941)などによって築かれた〈ハードボイルド〉の魅力に,さらにロマンティックなイメージをつけ加え,スターとしての人気を不動のものにした(実際,この映画の後の契約更改により彼は当時世界一の高給取りのスターとなる)。この映画でひさしを目深に折ったソフト帽とともに身にまとったトレンチコートは,〈カサブランカ・トレンチコート〉と呼ばれるまでに有名になり,ボガート神話を象徴するトレードマークとなった。…

【ギャング映画】より

…主役を演じたロビンソン,キャグニー,ムニはいずれも一躍スターにのし上がり,また《暗黒街の顔役》でムニの弟分を演じたジョージ・ラフトとともに,4大ギャングスターとなった。さらに《化石の森》(1936)や《デッド・エンド》(1937)でギャングを演じた(戦前はギャング専門の俳優だった)ハンフリー・ボガートを加えて5大ギャング俳優とする場合もある。 デビッド・パイリーによれば,1929年から34年までに300本ものギャング映画がつくられた。…

【シナトラ】より

…60年の《オーシャンと11人の仲間》ではD.マーチン,S.デービスJr.,ピーター・ローフォードら〈シナトラ一家Sinatra cran〉を率いて映画製作にも乗り出した。シナトラ一家はかつてH.ボガートが主宰したアンチ・ハリウッドのスター親睦グループ〈ビバリー・ヒルズの鼠党〉を,57年にボガートの死により彼を敬愛したシナトラがひきついだものである。61年には自らリプリーズ・レコードを設立,時のケネディ大統領と親しい一方,マフィアとの関係もしばしばマスコミをにぎわすなど,アメリカ芸能界のもっとも伝説的,また象徴的なスターのひとりであった。…

【ハードボイルド】より

…したがって非情,非感傷的,シニカルなどと同義になる。ハードボイルド・ディテクティブといえば,往年の映画俳優ハンフリー・ボガートがよく主演した探偵もの映画の主人公のように,無口で無表情,眉ひとつ動かさず大胆なことをやってのけるような探偵,ということになる。ヘミングウェーの短編《殺し屋たち》(1927)のような作品,D.ハメット,R.チャンドラーなどの探偵小説は,いわゆるハードボイルド・ノベルの典型である。…

【ヒューストン】より

…そのため,ハリウッドのもっとも商業的な監督でありながら,ハリウッドの〈烙印(らくいん)のない牛〉(マーベリック)とみなされ,マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作になった《荒馬と女》(1961)やボクシングを描いた《ファット・シティ》(1971)がその代表作に数えられることが多い。監督第1作《マルタの鷹》(1941)で戦後のハリウッドの〈フィルム・ノワール〉あるいは〈ハードボイルド映画〉の流れをつくり,主演のハンフリー・ボガートとは続いて《黄金》(1947),《キー・ラーゴ》(1948),《アフリカの女王》(1951),《悪魔をやっつけろ》(1953)で組み,その魅力をひき出す。さらにボガートのために《白鯨》でエーハブ船長の役を,《王になろうとした男》でクラーク・ゲーブルとの〈夢の競演〉を考えたが,ボガートの死で実現せず,《白鯨》は1956年にグレゴリー・ペックで,《王になろうとした男》は1976年にマイケル・ケインとショーン・コネリーで映画化しているが,このボガートで撮りそこなった2作も含めた〈ボガート映画〉にもっともヒューストン的なテーマ(人間,とくに男の野望とその挫折)が色濃く出ている。…

※「ボガート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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