アメリカの映画俳優。〈ボギー〉の愛称で親しまれ,スクリーンの不滅の〈ハードボイルド・ヒーロー〉となっているスターである。ニューヨーク生れ。ブロードウェーとハリウッドの間をいったりきたりするが鳴かず飛ばずのまま長い下積み生活を送る。1935年,ロバート・E.シャーウッドの舞台劇《化石の森》でレスリー・ハワードと共演したのをチャンスに,ワーナー・ブラザースが映画化した《化石の森》(1936)にはハワードの口ききでエドワード・G.ロビンソンに代わってデューク・マンテーの役を演じ,スターへの道をつかみかけたものの,その後がつづかず,36年から40年までの5年間に30本近い映画でギャングもしくは悪役を演じ,ジョン・ヒューストン脚本,ラオール・ウォルシュ監督《ハイ・シエラ》(1941)でようやくスターとしての〈ボギー〉が生まれ,ヒューストンの第1回監督作品《マルタの鷹》(1941)の私立探偵サム・スペード役で〈ハードボイルド・ヒーロー〉のイメージが定着する。
その後《カサブランカ》(1943),《脱出》(1945),《三つ数えろ》(1946)でさらに人気を高め,《脱出》で共演した新人女優ローレン・バコール(1924- )と結婚,不滅のロマンスをうたわれた。47年に独立プロ〈サンタナ・ピクチャーズ〉を設立し,当時新進気鋭の監督ニコラス・レイ(《暗黒への転落》1949),リチャード・ブルックス(《デッドライン--USA》1952)を育てる。ヒューストン監督と組んだ作品が多く,《黄金》《キー・ラーゴ》(ともに1948),そして《アフリカの女王》(1951)ではアカデミー主演男優賞を受賞。《殴られる男》(1956)を最後に食道癌で死亡したが,人気は死後も高まり,その出演作品はアメリカのみならずヨーロッパでも〈ボギー・フェスティバル〉の形でくりかえし上映されつづけている。
執筆者:柏倉 昌美
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アメリカの俳優。ニューヨーク生まれ。ステージ・マネージャーから舞台に立ち、1930年から映画に出演したが、『化石の森』の映画化(1936)で舞台と同じギャング役で好評、『マルタの鷹(たか)』(1941)でハードボイルドの探偵役に転じ、1942年の『カサブランカ』以降第一線スターとなる。苦みばしった独得のマスクと声で人気を得、1945年には『脱出』(1944)で共演した女優ローレン・バコール(1924―2014)と結婚、1951年の『アフリカの女王』でアカデミー主演男優賞を受けた。死後も「ボギー」の愛称で、その人気はますます高い。代表作に『サハラ戦車隊』(1943)、『黄金』(1948)、『ケイン号の叛乱(はんらん)』(1953)、『裸足(はだし)の伯爵夫人』(1954)、『俺(おれ)たちは天使じゃない』『必死の逃亡者』(ともに1955)など。
[畑 暉男]
『N・ベンチリー著、石田善彦訳『ボギー』(1980・晶文社)』▽『L・バコール著、山田宏一訳『私一人』(1984・文芸春秋)』
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…着物をやったり,あだ名で呼んだり,十字を切ったりすると消える。ピクシーPixy,ゴブリンと同種で,いたずらがすぎる者はボガートBoggart,まぬけたおどけ者はドビーDobbyとも言われる。【井村 君江】。…
…〈ハリウッド・メロドラマ〉の名作の1本であり,今日では映画史を超えて一種の神話的イメージを獲得したいわゆる〈カルトムービー〉の1本となっている。第2次世界大戦中,ドイツ軍に占領されたヨーロッパから逃れて渡米しようとする人々の渡航拠点になっていたフランス領モロッコのカサブランカで,〈リックス・カフェ・アメリカン〉という酒場を経営しながら,ファシスト,ドゴール派,亡命者らが入り乱れる中で独自の立場を貫くアメリカ人リックはハンフリー・ボガートの当り役の一つとなり,《マルタの鷹》(1941)などによって築かれた〈ハードボイルド〉の魅力に,さらにロマンティックなイメージをつけ加え,スターとしての人気を不動のものにした(実際,この映画の後の契約更改により彼は当時世界一の高給取りのスターとなる)。この映画でひさしを目深に折ったソフト帽とともに身にまとったトレンチコートは,〈カサブランカ・トレンチコート〉と呼ばれるまでに有名になり,ボガート神話を象徴するトレードマークとなった。…
…主役を演じたロビンソン,キャグニー,ムニはいずれも一躍スターにのし上がり,また《暗黒街の顔役》でムニの弟分を演じたジョージ・ラフトとともに,4大ギャングスターとなった。さらに《化石の森》(1936)や《デッド・エンド》(1937)でギャングを演じた(戦前はギャング専門の俳優だった)ハンフリー・ボガートを加えて5大ギャング俳優とする場合もある。 デビッド・パイリーによれば,1929年から34年までに300本ものギャング映画がつくられた。…
…60年の《オーシャンと11人の仲間》ではD.マーチン,S.デービスJr.,ピーター・ローフォードら〈シナトラ一家Sinatra cran〉を率いて映画製作にも乗り出した。シナトラ一家はかつてH.ボガートが主宰したアンチ・ハリウッドのスター親睦グループ〈ビバリー・ヒルズの鼠党〉を,57年にボガートの死により彼を敬愛したシナトラがひきついだものである。61年には自らリプリーズ・レコードを設立,時のケネディ大統領と親しい一方,マフィアとの関係もしばしばマスコミをにぎわすなど,アメリカ芸能界のもっとも伝説的,また象徴的なスターのひとりであった。…
…したがって非情,非感傷的,シニカルなどと同義になる。ハードボイルド・ディテクティブといえば,往年の映画俳優ハンフリー・ボガートがよく主演した探偵もの映画の主人公のように,無口で無表情,眉ひとつ動かさず大胆なことをやってのけるような探偵,ということになる。ヘミングウェーの短編《殺し屋たち》(1927)のような作品,D.ハメット,R.チャンドラーなどの探偵小説は,いわゆるハードボイルド・ノベルの典型である。…
…そのため,ハリウッドのもっとも商業的な監督でありながら,ハリウッドの〈烙印(らくいん)のない牛〉(マーベリック)とみなされ,マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作になった《荒馬と女》(1961)やボクシングを描いた《ファット・シティ》(1971)がその代表作に数えられることが多い。監督第1作《マルタの鷹》(1941)で戦後のハリウッドの〈フィルム・ノワール〉あるいは〈ハードボイルド映画〉の流れをつくり,主演のハンフリー・ボガートとは続いて《黄金》(1947),《キー・ラーゴ》(1948),《アフリカの女王》(1951),《悪魔をやっつけろ》(1953)で組み,その魅力をひき出す。さらにボガートのために《白鯨》でエーハブ船長の役を,《王になろうとした男》でクラーク・ゲーブルとの〈夢の競演〉を考えたが,ボガートの死で実現せず,《白鯨》は1956年にグレゴリー・ペックで,《王になろうとした男》は1976年にマイケル・ケインとショーン・コネリーで映画化しているが,このボガートで撮りそこなった2作も含めた〈ボガート映画〉にもっともヒューストン的なテーマ(人間,とくに男の野望とその挫折)が色濃く出ている。…
※「ボガート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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