精選版 日本国語大辞典 「ボヤイ」の意味・読み・例文・類語
ボヤイ
- ( Bolyai János ━ヤーノシュ ) ハンガリーの数学者。ロシアのロバチェフスキーとともに、非ユークリッド幾何学の一つである双曲幾何学の発見者として名高い。(一八〇二‐六〇)→ロバチェフスキーの幾何学
ハンガリーの数学者。ロバチェフスキーとは独立に、しかも同じころに双曲的非ユークリッド幾何学を創始した。そのため、双曲的非ユークリッド幾何学は、「ボヤイ‐ロバチェフスキーの幾何学」ともよばれている。
父ファルカスは、ゲッティンゲン大学で学び、そのときともに学生であったガウスと親交があり、息子ヤノスが少年に成長したとき、その優れた数学的才能を伸ばすために、「ゲッティンゲンの巨星」ガウスの指導を受けさせたいと望んだ。しかし、その望みを果たすことができず、ヤノスは軍の技術学校に入学した。やがて少尉となり、小さな要塞(ようさい)へ派遣されたが、そこの勤務に退屈し、ユークリッドの第五公準(平行線公理)の研究に熱中した。10年間の苦労のすえ、第五公準は証明できないものであるとの結論に達し、新しい幾何学の創造を志して、ついに従来とは異なる思想のうえにたつ幾何学をつくりあげた。その研究は、1832年に出版された父ファルカスの『数学教程』の付録として公表された。そのころ、ロシアのカザンではロバチェフスキーによって、彼と同じ思想のうえにたつ幾何学の研究が独立に進められていた。
1840年にロバチェフスキーの『平行線の理論に関する幾何学的研究』がドイツで出版され、1848年10月17日にはボヤイもこれを受け取り、ほかにも同じ研究が進んでいたことに大きな衝撃を受けた。しかし両者はともに双曲的非ユークリッド幾何学の創始者として後世に残ることとなった。
[茂木 勇]
ハンガリーの数学者。ボヤイ・ヤノスの父。ガウスと同じ時期にゲッティンゲン大学で数学を学び、若いころからユークリッドの第五公準(平行線公理)の研究をしていた。しかしついに成果を得るに至らなかったので、息子ヤノスが同じ研究に熱中し始めたとき、自分の苦い経験を顧みて「それだけはやめてくれ」といって忠告した。ヤノスは父の忠告にもかかわらず研究を続けて非ユークリッド幾何学を創始した。ヤノスの研究成果は父ファルカスの著『数学教程』(1832)の付録として公表された。
[茂木 勇]
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