百科事典マイペディア 「ポクロフスキー」の意味・わかりやすい解説
ポクロフスキー
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ソ連邦の歴史家。1891年モスクワ大学文学部を卒業し,ロシア史家の道を歩んだ。反政府的傾向をつとにあらわし,政府に講義を禁じられた。1905年社会民主労働党に入党し,ボリシェビキに属したが,06年ボグダーノフ派の知識人グループに加わり,レーニンと対立した。反動期に代表作《最古よりのロシア史》5巻(1910-13)を出し,第1次大戦中に《ロシア文化史概説》2巻(1915-18)を著した。十月革命後は終生教育人民委員代理の職にあり,マルクス主義に立つソビエト歴史学界の最高指導者となった。《簡略ロシア史》(1923)はレーニンの評価もうけ,権威をもった。独特な商業資本主義論によってツァーリズムを説明する彼の歴史像は,ロシア史を世界史の中にとらえる試みであったが,図式主義的欠陥は免れなかった。彼の学説への批判は28年におこっていたが,自説を修正しつつ,29年の国内緊張の中で歴史学における階級路線,党路線を推進した。死後の36年にその歴史学は全面的に否定されたが,スターリン批判後再評価された。
執筆者:和田 春樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ロシア・ソ連の歴史家、政治家、アカデミー会員。役人の子としてモスクワに生まれる。1891年モスクワ大学歴史・文学科卒業。1905年ジュネーブで初めてレーニンに会い、帰国後ボリシェビキに加入し、その新聞の編集に加わった。10~13年『古代よりのロシア史』(5巻・共著)、15~18年『ロシア文化史概説』(2部)を著し、そのなかでロシアにおける商業資本を過大に評価し、ツァーリの専制をその道具と主張した。17年亡命先よりロシアに帰って革命に参加。18年5月から死ぬまでロシア共和国の文部人民委員代理(文部次官)として、文部行政に携わると同時に、歴史研究所の創設や歴史関係の学会誌の発行にも関係した。彼の学説はスターリン時代に批判された。
[外川継男]
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