日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロストロポービチ」の意味・わかりやすい解説
ロストロポービチ
ろすとろぽーびち
Мстислав Леопольдович Ростропович/Mstislav Leopol'dovich Rostropovich
(1927―2007)
アゼルバイジャン出身のチェロ奏者、指揮者。首都バクーの生まれ。父はチェロ奏者、母はピアノ奏者の音楽一家に育ち、モスクワ音楽院でチェロ、作曲、指揮を学ぶ。ソ連、東欧のコンクールをいくつか制覇したあと、1955年アメリカ楽旅、チェロをバイオリンのように楽々とこなす驚異的な技巧に加え、豊かな響きと豪壮な表現によって、カザルス以来の名手と評価された。同年、ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤと結婚。58年(昭和33)初来日、以来たびたび来日し、日本の子供たちの音楽教育にも携わっている。68年にモスクワで指揮者としてデビュー、ボリショイ劇場の指揮者を務めるかたわら、外国にしばしば客演した。
彼は1964年にレーニン賞を受けるなど多くの栄誉を授けられたが、70年、ソ連の反体制作家とされるソルジェニツィンを擁護して当局と対立、長期の国外旅行を禁止された。しかし74年5月、2年間の海外旅行が許可され、のち夫人、娘も出国を認められて75年からアメリカのワシントンに定住。77年ワシントンのナショナル交響楽団音楽監督に就任(94年まで。91年以後は桂冠(けいかん)指揮者)。78年一家はソビエト市民権を剥奪(はくだつ)され、以後アメリカを本拠に世界各地で活躍。89年に名誉回復された。90年2月、16年ぶりに故国を訪れ、モスクワなどでコンサートを開いた。
[岩井宏之]
『ロストロポーヴィチ、ヴィシネフスカヤ著、田中淳一訳『ロシア・音楽・自由』(1987・みすず書房)』